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キリスト教のカソリックとプロテスタントの違いは何でしょうか?

  • 質問者:質問
  • 質問日時:2009-05-24 00:17:16
  • 2

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プロテスタントは地上の教会は人間の作った組織と考え、民主主義的な特徴をもった組織よって運用します。
教皇や教会の権威は認めていません。プロテスタントにとって教会は目に見えない信仰でむすばれたものです。

また聖書中心主義です。聖書の解釈は個人の良心に任されます。


一方、カトリックの教会は、聖ペトロの後継者であるローマ教皇を中心として形成される信者の集まりです。
したがって、カトリックの教会はその位階制度として目に見える存在です。
教会の司牧に関する権威はイエズス様によって直接与えられたものです。
また、カトリックの教会はキリストの神秘体としての霊的な目に見えない存在でもあります。
カトリックの教会は人間的要素と神的要素の一体化したものなのです。

聖書を聖書としたのは教会であると考えます。
聖書があって教会があるのではなく、教会があって聖書があると考えるのです。

  • 回答者:芽衣さん (質問から7日後)
  • 2
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簡単に言うと「ローマ法王やバチカンを頂点とする西方キリスト教団」がカトリック。
それ以外の西方キリスト教団の総称がプロテスタントです。

古代ローマ帝国が東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれた時、
東ローマ帝国のキリスト教は東方教会(後のロシア正教・ギリシャ正教など)に、
西ローマ帝国のキリスト教は法王を中とする西方教会(後のカトリック)になりました。

その後、堕落したバチカンを非難する宗教改革が起こり、
西方教会内部で法王・教会主義のカトリックと
ルター派・カルヴァン派など聖書・福音主義のプロテスタントに分裂しました。

どちらもキリスト教ですが、
法王やバチカンが地上でもっとも偉いと考えるのがカトリックで、
法王やバチカンの威厳を認めず、聖書が一番偉いと考えるのがプロテスタント
って言う解釈で差し支えないと思いますよ。

すでに他の方が書かれていますが、
イギリスのイギリス国教会は国王の離婚を認めない法王(カトリック)から独立、
イギリス国王の離婚を認めさせる為に政治的に作られたプロテスタントなので、
思想的にはカトリックとプロテスタントの中間的な色合いが濃い。

  • 回答者:宗教と細胞は分裂するもの (質問から7日後)
  • 4
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カソリック(カトリックという方が私はなじむので以降はこれでごめんなさい)は、ローマ教皇を頂点とするキリスト教の一派です(一派というにはあまりにも巨大ですが)。
中世ヨーロッパでは、カトリックはいわば独占企業のようなものでした。他に対立する宗派もなく、やりたい放題になってきていました。そんなヨーロッパにルネサンスが始まります。ルネサンスというとミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチのような芸術家を思い出します。しかし、ルネサンスの最も重要な点は何かというと、物事を科学的に見るということにあります。ですから、ミケランジェロなどの絵画や彫刻は非常に写実的です。同じように有名なのが、ガリレオです。地動説を唱えて教会(カトリック)から宗教裁判にかけられ、「それでも地球は動いている」つぶやきながらも地動説を間違いであると認めます。それは、その当時のヨーロッパで、教会(カトリック)の言うことに異を唱えることはほとんど死を意味していたからです。魔女狩りや魔女裁判もこうしたカトリックの独占によってもたらされたものともいえます。
ルネサンスの科学的な見方が広まってくると、カトリック教会の言うことが本当なのかという疑問が出てきます。そうした中で、「免罪符」がカトリック教会から売り出されます。これを買えば死後天国へ行ける。という売り文句です。それに対して「それは間違っている」と異議を唱えたのがルターです。
ガリレオの頃であれば、ルターは宗教裁判にかけられて自説を曲げるか、魔女として殺されるかしかありませんでした(魔女は女ばかりでありません)。16世紀になると、十字軍の後でローマ教皇の権威が落ちて来るのに反して、十字軍で中心となって活躍した国王の権力が大きくなってきていました。当時のドイツの諸侯はカトリックの頂点にいるローマ教皇の権威に対抗するための理論武装が必要であったのです。そこへ、ルターが「信仰は聖書に基づかなければならない」と唱えて、カトリック教会への質問状を出して「抗議」(プロテスト)したルターを保護しました。ローマ教皇に対抗するためです。
簡単に言えば、カトリックはローマ教皇を中心にしたキリスト教の一派で、プロテスタントはカトリック教会のあり方に疑問を持った人々の一派ということができます。
プロテスタントといっても一つだけではありません。ドイツを中心としたルター派以外にもさまざまな派閥があります。
スイスからフランスにかけて商人を中心に広まったカルビン派(カルバンともいう)は、商業は物を作るのではなく、物を右から左へ動かすことで利益を得るということで、一段低い職業という見方をされていました。それに対して、働いて利益を得ることは当然のことであり、それは神の意志にかなう。と唱えたわけです。
イギリスは、国教会が中心です。当時カトリック教会は離婚を認めていませんでした。国王のヘンリー8世が離婚を申し出たときも当然ローマ教皇は反対します。それに対抗してローマカトリックを離脱して自ら国教会の頂点に立ったのです。
中世ヨーロッパでは、子供は生まれるとすぐに教会で洗礼を受け、カトリック教徒になるのが普通でした。それに対して、信仰は自らの意志で決めるべきだとの考えから、大人になってからあらためて洗礼を受けるという「再洗礼派」というものもあります。
このようにプロテスタントといってもいろいろあるのですから、キリスト教も日本の仏教のようにいろいろな宗派があると思ってください。

  • 回答者:y (質問から21時間後)
  • 5
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たしか
マルチン・ルターとか言う人がいましたよね(世界史には必ず出ます)
その人が起因となってカソリック・プロテスタントが発生していた筈です。
神父と牧師
結婚可能か結婚否
など日本人でも分かる違いは多少有りますが
一般の日本人には理解不能ですね。

  • 回答者:やまぶどう (質問から17時間後)
  • 0
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既出の返答でキリスト教の流れが出ていますのでそれは省きます。

それよりもっと簡単に違いを分けるとすると

カトリック:マリア崇拝

プロテスタント:イエズス崇拝

新教、旧教といわれるように、カトリックのほうが保守的で戒律が厳しいと思われていますが、現在はその戒律の守り方も緩やかになっている部分が見受けられます。

  • 回答者:匿名希望 (質問から16時間後)
  • 1
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しんぷとーぼくしのちがいーーーーーーー

  • 回答者:匿名 (質問から12時間後)
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カソリック → 旧教

プロテスタント → 新教

  • 回答者:匿名 (質問から10時間後)
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簡単にいえば、本家筋と分家筋の違いでしょ?

  • 回答者:街角の電気屋さん (質問から5時間後)
  • 0
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私は幼稚園の時はカソリック、中高はプロテスタントで学びましたが…

はっきりと違いについて学んだことはないですが、カソリックの時はマリア様像だったりキリスト像だったりが結構飾ってあり、それに対して祈るという感じでした。

でもプロテスタントではそういった像が全くなくて、何に対しして祈ればいいのか初めは戸惑いました。

なので祈る対象物があるかないか…そういう違いかと思ってます。

  • 回答者:パム (質問から3時間後)
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14世紀頃からキリスト教教会の腐敗や権力闘争を表立って批判するウィクリフなど
が現れてきます。このような宗教運動を経てルターやカルヴァンの宗教改革へと
発展していきました。既存の旧教会派をカソリック(カトリック)といい、改革教会派を
プロテスタントと言います。

プロテスタントと言ってもカソリックのうよに法王を頂点とした大きな組織ではなく、
カソリックから派生した多数の教派がそれぞれがプロテスタントと名乗っているだけで
教理や聖書の解釈も各派で異なっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88

国民生活に密着するカソリックとプロテスタントの1番の違いはカソリックは離婚を
認めず、プロテスタントは離婚を容認することです。カソリックでは離婚を認めない
代わりに「婚姻の無効」という概念で事実上の離婚を容認しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%9A%E5%A7%BB%E3%81%AE%E7%84%A1%E5%8A%B9

日本にキリスト教を伝えたザビエルはカソリックのイエズス会所属の宣教師でした。

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カソリックは簡単に言えば本家ですね
キリスト教の古くからある本道の派閥

プロテスタントは言葉の通り その本家から反発(抵抗)する
宗派 ですので いろいろな宗派があります
ひとつだけではなく 多様な宗派すべての総称です
16世紀中ごろからあるそうです

  • 回答者:抵抗する (質問から24分後)
  • 0
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以下の通りです。
その原因は中世におけるカトリック教会のある種の堕落にあったことは間違いがない。それを批判して別な宗教としての道を歩むことになったプロテスタントと、枠内にとどまりながら自浄の努力を行ってきたカトリックとが存在することになった。現在は、それほど深刻な対立要因は存在していないということなのか、つまらない対立はお互いに努力しあって埋めようということなのか、エキュメニカル(教会一致運動)という動きもある。

  • 回答者:匿名 (質問から4分後)
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