私は、文系=情緒豊かな人。理系=理詰めで話す頭の固い、難しい人
だと思い込んでいたんです。
しかし、とても柔軟な頭でどんな相手にでも興味を持って色んな角度から意見やその人の中身を悟ろうとし、悪く言わないような人格者に出会ってから考えが変りました。
その方はいつも話のボキャブラリー豊富で、あるときに経験談を交えた話をしてくれたこと。。
「私は文系なので頭が固くダメですねぇ~バカなんですね、実際。」と冒頭で述べたあと、
「みなさん、国語学者と数学者(理数系、つまり理系を指している)では、実は数学者のほうが柔軟性のある思考の持ち主なんだということがわかりました。」
この理由は、数学的(理系)なものの考え方というのは、
答えはひとつの、そのひとつへ到達するためにあらゆる角度から知識を出してきて頭をフル回転させるため、一時に多くの角度から洞察するという固い頭ではできない作業を楽しむ事をするわけです。
国語的な考え方は、答えは曖昧とも言えるはっきりとしたものがない、それに到達するには感性で判断し理屈をつけなければ答えになりません。
上のことから、理屈っぽく講釈をたれる人を文系だと表現することが起こってくるそうです。
なるほどな・・・と話に聞き入りながら、自分を「理屈っぽいとかる~く言うこの人って
なんとま、柔軟で答えをひとつにしないで全てを受け入れて楽しめる方なのだろうと感心しましたね。
体育会系は、まさに爽やか。
・上下関係にきちんとしている
・全体的には大雑把で細かいことを気にしないが、礼儀正しく、目が合うと、知らない人にでも挨拶をしないと気持ちが悪い。
・場に居て、自分から進んで物事をする
・見てみぬふりをしない
ただ・・
自分が前向きで、愚痴を言う間があるなら、がんばって願いをかなえる方向をめざすところや、がんばった成果を褒められることを金銭的な継続したメリットよりも重視するところから、
人が将来を不安に思っている悩みや、落ち込んだときには、なぜそこまで・・と本当には理解できないところもあるので
安易な「だいじょうぶ!いっしょにがんばろ!」などという声かけをしてしまい顰蹙を買うことも。がんばれない人の気持ちを、悪気はぜんぜんなく理解できないのです。
それが典型的な体育会系といわれる人です。