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同和教育ってなんですか? ものすごく素朴で、学生時代から引きずってる疑問です。
東京生まれ・東京育ちなので、東京大空襲を中心に「平和教育」は受けた記憶が
あるんですが、同和教育は記憶にないんです。
大学になって関西の人と交流が出来てきたら、同和の時間がイヤだったとか
あまりいいことを言う人が少ないんで、不思議に思っていました。
話を聞くと、「部落差別」みたいな現代につくられた「階級社会」を否定することだったり
いわれなき人種差別のことだったり・・・なんだかいい教育のような気がするんです。

関西か、ほかの地域でもけっこうです。
同和教育とはどういうものだったのかを「できるだけ客観的」に教えてください。
(ご自分の気持ちを入れないで、こういう授業でしたという概説をお願いします)

その上で、その「同和教育」が自分にとっていい授業・楽しい授業だったか、
それともイヤな・苦痛な・無駄な授業だったか、それはなぜか教えてください。

同和教育を知らない私に、学校の同和教育というのはこういうものだよ、と
一番わかりやすく教えてくださった方にベストを差し上げます。

  • 質問者:質問中
  • 質問日時:2008-11-28 02:46:35
  • 2

回答してくれたみんなへのお礼

学校教育を受けた時点でそういうのがまだある地域と、ほとんどない地域では
内容が少し違うようですが、やっぱり負の歴史として、知っていたい内容でした。
小学生には「おもしろくない」学習ということも納得です。
私の記憶だと、政治経済か日本史で、士農工商の下→新平民→水平社宣言
くらいまでしか授業でやった記憶がないので、つい最近までまだあった、という
こと自体が衝撃でした。
でも、教え方が極端すぎた場合もあるようですね。
ベストは、すごく悩みました。詳しく教えてくれたみなさんに差し上げたいですが
そういうわけにも行かず・・・個人的に一番納得できたということで・・・

九州です。

地域内に部落とされたところがあったので同和に力が入った学校でした。
その場所名は習いませんでしたがあそこらしい、、と子供の間で噂に。
もちろんそこから通学していた友達もたくさんいたのでいじめに発展することはなかったです。
内容はいきなり地区を指定されて汚物やゴミなど人がいやがる職業につかされた、地区ごとバカにされた、平等な権利を失われた、だったと思います。そしてそれが根付いて意味もなく嫌がられる地区に。

正直いわなければ知らなかったのに、差別の目でみることはないのに、と思いました。

ですが祖父母と同居している友達は「あそこは柄が悪い」と注意をされていたそうで
学校で勉強したことで偏見をなくそうと思ったといいます。罪もないのに烙印を押されたのです、当然な思いです。

知らなくてもよかったと当時は思いましたが今は知識として持った方がいいと思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から1日後)
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簡単に回答しますと。。。

人権教育の中で行われ、「部落差別」と呼ばれる差別を受けている人たちに、

差別をしないように教える事で、偏見や差別を持たないようにというのが

趣旨の教育です。

  • 回答者:寒い冬が来ました! (質問から7日後)
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同和教育というのは「部落差別」を考える教育です。
部落差別の起こりは、
伝染病を由来とするもの。
戦の勝ち負けを由来にするもの。
職業(死体処理や糞尿、ゴミ処理など)集落を由来とするもの。
移民・殖民集落を由来する物。
など、現在、住んでいる人々と直接関係無い過去の部落差別慣習を
結婚や就職の時に持ち出す事をやめましょうと言う教育ですが、
はっきり言って、教職員に
「この地区はこんな理由で差別されていた、今も差別する人が居る」
などと言われて差別する理由を与えられた感じがします。
元処刑場跡地に遊びに行きたい子供が居る訳が無い。
そこに住んでる人を色眼鏡で見ないというのも子供には無理です。

差別がいけないという教育は良いが、
事細かに場所や由来を説明するような教育は
差別をしましょうといっているようにしか思えなかった。

  • 回答者:差別をやめろと差別する。 (質問から7日後)
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士農工商の下にあった身分制度の話や、在日の問題を教えられた記憶があります。
そういったことで差別をするものではない!!ということですね。

  • 回答者:匿名 (質問から7日後)
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うちの会社の事です。履歴書には、住所詳細記載させません。無論、入社したら、表記させますが。以前は、住所詳細記入させて、身上調査していたとの事。会社で同和教育は、実施しています。特に、管理職、監督職になった人間に対し、半日位かけてやります。面接で、お父さんのお仕事は何ですかと聞いて、入社希望者から、「父の仕事と私の入社とどんな関係がありますか?」と聞かれ、その種の質問は禁止です。子供の頃の同和教育は覚えていません。但し、中学生の頃、「橋のない川」を読んで、泣けてきました。

  • 回答者:万民平等 (質問から2日後)
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同和教育(地域により解放教育と呼ぶ)については、保守言論の他、共産党や共産党と共闘関係にある全日本教職員組合が猛反対しています。私も問題があると思います。ここに同和地区が存在したことを、結果的に教えているだけだから。同和問題について詳しく知りたい場合は、同和利権の真相シリーズを一読することをオススメします。

例:「解放教育」ただす取り組み - | 笹岡優日本共産党四国ブロック国政対策委員長
http://www.jcp-sikoku.jp/page01_08/

例:全教同和教育討議資料作成委員会
http://homepage3.nifty.com/na-page/18-6.html

また、以前別の投稿でも指摘がありましたが、マスコミはあまり取り上げていませんが、三輪中いじめ自殺も、この問題が背景にあったとの指摘は、次の文献や福岡県議会議事録に書いてあります。たとえば、問題の教師は「同和推進教員」を勤めていたとのことです。

<参考文献>
福岡の教育現場を歪める同和教育 近藤将勝 正論 平成19年8月号
いじめ自殺で懇談 共産党と教育長・校長ら しんぶん赤旗 平成18年12月19日
人権と部落問題 平成19年5月号 山見論文
福岡県議会決算特別委員会 平成19年11月7日 山口議員発言 など

事件の伏線としては、自殺前に出版された同和利権の真相4にも、福岡県の当該地域における同和教育について、問題を指摘する記述があります。


ほかにも、某同和団体は差別の根源は天皇制度にあると主張している関係で、同和教育と反天皇が一体化し問題となった地域もありました。

http://www.kamesan.jp/zenkairen126.htm
①東大阪市立意岐部東小学校の異常な教育
 「矢田事件」以後、解同の教育介入は俄烈をきわめました。教育のゆがみは府下全域 に広げられていきましたが、その悪しき「典型」が東大阪市の意岐部東小学校・意岐部 中学校でした。1979年の運動会では「てんのうはいらん」のタレ幕が、・・・・

http://www5c.biglobe.ne.jp/~sakopy2/kishimoto.html
「広島県立世羅高校長自殺事件」
そこへ団体の方がおいでになって、国旗掲揚も国歌斉唱も取りやめるように強要されました。そのときの、もし実施するなら街宣車でもって卒業式をひねりつぶすぞと言われた言葉をいまだに忘れることはできません。


天皇制度と身分制度を結びつけるのは理論破綻しているとおもう。インドには日本の天皇に相当する制度がないにもかかわらず、日本の被差別部落よりもすさまじいカースト制度が存在する。この点をどう釈明するのか)?

また、世襲制に差別性を見出すのであれば、あのひとたちはなぜ福岡では組織内候補として3世議員を押すのでしょうか?

私には理解できません。同和教育とは、時には反天皇とも結びつき、共産党から保守言論まで、幅広く批判を受けている不可解な教育だと思います。差別を助長するだけのような気がします。

  • 回答者:匿名3世 (質問から1日後)
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人権教育の中で行われますが,同和だけの授業というのは少ないでしょう。日本独特の被差別部落に対する差別をなくしていこうという教育です。
 学校で教えなければなくなるという意見もありますが,教えなくてもどこかで見聞きするでしょうから,そこで間違った偏見や差別を持たないようにというのが趣旨ではないかと思います。
 関西地方が中心ですが,被差別部落は全国にあります。学校での同和教育が始まった頃は,江戸時代の政治起源説が有力でしたが,今ではそれは制度ではなく,一般庶民が少なからず持っていた偏見意識を政治が利用したという説が有力です。士農工商(これも後世の研究者が付けた名称です)に区分できない人たちを「えた」と呼び,無職,芸能人などがこれに含まれます。いちばん悲惨だったのが,農村の「えた」で,差別するように仕向けていちばん生活の苦しい農民の不満のはけ口に利用したのです。

===補足===
同和の時間が多かった関西地方で,差別がなくなるどころか逆に同和教育を批判する人が多いようですが,学校の取り組みの間違いや過剰な同和行政による逆差別が原因ではないでしょうか。

  • 回答者:四国人 (質問から1日後)
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同和地区の方を差別するのはいけませんって授業でした。
こんな差別が世の中にあるんですよって教えてくれました。

  • 回答者:匿名希望 (質問から22時間後)
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同和教育とは簡単に言えば「部落差別」と呼ばれる差別を受けている人たちに、将来差別をしないように教えるということです。
西日本には各地に「被差別部落」と呼ばれた地域があります。そこに住んでいた人たちを「部落民」と呼ぶこともあります。
この人たちの何代か前の先祖が、当時の権力者に反抗したという理由で「エタ」とか「非人」とか呼ばれた身分に落とされ、指定された場所に住み、家畜の死体処理とかの普通の人が嫌がる職業に従事することを強制されたという歴史があります。
江戸時代に特に多くそういう事が起こったそうです。今で言う政治犯、思想犯ですね。
この人たちは何代にもわたって人間以下の存在として差別、社会的いじめの対象になってきました。明治時代になって身分制度そのものは表向きは廃止されましたが、何百年も続いた差別する側の意識はそう簡単に変わるものではなく、かつて「部落民」と呼ばれた人たちの子孫が未だにいろいろな形での陰湿な差別や社会的いじめの被害にあっている、そういう面が残っています。
その部落差別をなくすために、学校で「他人を差別しちゃいけませんよ」と教えるために行うのが同和教育です。
私は九州出身ですが、同和教育は道徳の授業の一部として受けたと記憶しています。東京にはなかったんですね。関西は特に同和教育が盛んなようですが、関西に特に被差別部落が多かったのでしょうか?

  • 回答者:joker (質問から13時間後)
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東京は同和問題を授業でしませんね
江戸時代に合った士農工商のお話はどこかで聞いたことがあると思います
その商人の下に非人とかえたと呼ばれた人間として認めて貰えなかった人々がいました
明治時代には士農工商と非人という制度はなくなったのですが、風習と言うか今までの人間扱いをされなかった習慣だけが残り、非人やえたと呼ばれる人々が住んでいる地域は部落と言う名前に変わって、存在するというか存在し続けた訳です
これはいけないと言う事で、人間に上下はない、差別はいけないと言う事で、同和教育という教育を学校でするようになりましたが、一般的に西日本のほうで、そう言った教育をする事が多い傾向があります
東京の場合はもう30年前位から、同和教育として、ビデオを見せたり、話をしたりする所が減ってきて、今は皆無の状態です
でもまだ同和教育をしている所もあるとは思います
私自身は40代後半ですが、18年間学校に行っていて、1度位あったかな?位の感覚ですし、授業として道徳の時間であったかもしれないという感じです
学区内に部落と呼ばれた地域があれば、まだ授業でもしたのでしょうが、実家の方ではそういう地域はありませんでしたから、余計眠った子を起こすような事はしない方針だったのかもしれません
そして、はじめて記憶にある同和教育というのは生保会社での研修の時でした
実は今はどうか知りませんが、10年ほど前には生保レディの研修中に同和教育をしろというのが、当時の大蔵省の方針でカリキュラムに組み込まれていたんですよ
はい、支社は東京23区にある、生保大手の会社です
勘違い回答のような気もしますが、ご容赦下さい

  • 回答者:元生保レディ (質問から11時間後)
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大阪に産まれてからずっと住んでいます。
今40代です。
小学生の頃同和教育が週1時間か2時間ありました。
「にんげん」という教科書を使って、
部落の人達の受けてきた差別、今もある差別(部落に人達は結婚も反対される。
企業が部落地域の若者の採用を取り消す等)について考え
こういう社会は間違っている!差別をなくそう!
みたいな事を習いました。(ここで言う今もある差別というのは30年以上前の事です。)その「にんげん」という教科書の内容が暗い、暗い、暗い。
だから嫌な人が多かったのだと思います。

今の子供は同和の授業はないし、うちの子に「部落」と言っても
何の事かわかっていません。
ただ大阪に住む我々大人は口には出しませんが、あの地域は元部落という
事がわかっています。土地の値段も安いです。
学校もその地域の学校は設備等すごくいいです。

  • 回答者:なな (質問から9時間後)
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20年ほど前の京都の近くに被差別部落があった小学校の話です。
同和教育という名前の特別な授業があったわけではありませんが、
国語で戦争や差別の話が出てきては内容そっちのけでそのことばかり何時間も話し合い、
社会で身分(えた、ひにん)などが出てくれば、そのことだけで何時間も話し合い。
道徳でもそう。修学旅行も学芸会も卒業式のコールも。なんでも平和・平等・自由。
先生が日教組バリバリでこういうことばかりに熱心で、肝心の授業はそっちのけ。
ひどいときは一日中で、そのせいで書道は全く、図工はほとんど授業なし。
まともに授業を消化できず分数の足し算すらできないような子を中学へそのまま多数送り出し。
生徒から意見がでなければ、理不尽な差別を受けても黙っているのか!!と先生怒ってばっかり。
ほんとうにつまらない、退屈な小学校でした。

客観的でなくて具体的な話になってしまいましたが....
世界中には大なり小なり不平等や差別があると思います。それがいいことだとは思いません。
ただ、同和教育は「特定」の「漠然」とした差別だけを取り扱うので、子供には(大人でも)理解しがたく、納得がいかないことが多いのだと思います。

  • 回答者:おたべ (質問から8時間後)
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三重県出身ですが、小・中・高では同和教育を受けた覚えはちょっとありません。しかし、短大では同和問題の授業があり、そこでいろいろ教えてもらいました。
昔作られた士農工商の下の穢多、非人の人たちがその祖であり、彼らは肉皮革産業や廃棄物処理、風俗業界、刑吏等の職を行う階級としてある種の特権階級であったが、明治の四民平等によって、その職業的特権を全て取り上げられ、被差別階級としての意味だけが残ったという歴史や、部落出身という事で差別され結婚することができなかった女性の話、部落出身であることを消すために何度も戸籍の住所変更をした人の話など、部落出身である事で受けた差別の数々の話でした。
ある程度の知識がある年齢に達していたからこそ有意義な授業でしたが(おかげで、同和問題に対しての変な嫌悪感は消えました)、まだ、差別がどういうものか分からない小・中では早すぎるだろうなと思いました。

  • 回答者:にぽぽ (質問から8時間後)
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私は日本でたぶん一番有名な(だった?)部落「ウトロ」が有る地域だったので同和教育の時間は結構有りました。
何故そういう所が出来たかの経緯と差別をなくすのを延々と語られた記憶がありますが実際その部落には色々問題が有り怖くて近寄れませんでしたがそこに住んでる同年代の人とは仲良くなった人もいました。
やはりそういう差別を受けて卑屈になってる面もありますが付き合えば良い人間でした。
教育よりも実際触れた方がためにはなったと今では思ってます。

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回答ではないですすいません。
自分は長崎です。
同和教育はこっちでもありました、特に北九州あたりはそういった問題が多かったらしいです。
幸い私の周りでは差別や偏見やいじめといったものからは縁がなかったのであまり同和教育に対する必要性は感じませんでした。
自分自身、必要ないのではないか?教えなくていい事もあるんじゃないのか?と思っていましたが都さんが立てた質問のリンク先を見て少し考えが変わりました。

  • 回答者:名無し (質問から3時間後)
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確か同和教育は部落差別を無くすための法律に基づいて行われていた物で、その法律が、時限立法だったので、全国で行われたのは40年くらい前から10年間くらいだったのではないでしょうか。その後も地域的には続いていたのではないかと思います。
私は、受けています。
内容は差別を受けて虐められる話を物語としてと読んで話し合うといった感じが中心でした。1時間くらいの映画を見たりすることもありました。差別のとしては、部落差別だけでなく、在日朝鮮人、アイヌ人の差別、またもっと個人的な病気などで虐められる子供の話とかありました。あと記憶に強く残っている話として、個人経営に近い中小企業が、公害対策を資金的に出来ず廃業する話なんかもありました。
内容は、当然暗く、嫌な話が中心で、当然ながら子供達にとって楽しい物ではなかったと思います。
当時私は特に好きではありませんでしたが、それほど嫌だとも思っていませんでした。
多分私は、当時変わり者と思われ、中々クラスになじめなかった為、虐めは身近な物であり、そのためかもしれません。少なくとも私には自分が他人を虐めているという意識がなかったので、嫌な気分にならなかったのではないかと今思えば、感じます。

逆にいじめられっ子でなかったはずの、ほとんどの人は、自分が加害者になったような気がして、嫌な気分だったのではないでしょうか。
また時代的な変化もあります。私が小学生だった70年代と、その後では差別、特に部落差別を取り巻く状況は大きく変化してますので、時代が新しくなるほど、シリアスな問題意識は感じなくなっていったと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
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東京では同和教育ってないのか・・・

授業内容は、「部落」の話。
部落問題について、これが今もあるんだよって言う話。
なので、「部落」に関連する話が基本。例えば、全国水平社の話とか(これは歴史でも習うはず)。これを、「部落」視点で考えたりする。
そのほかにも、「部落」について書かれた本を読んだり、実際に部落にいた人の話を聞いたり、隣保館などそういう「部落」に関連する施設などに行ったりもする。
共通してるのは、「部落」というだけで発生する差別についての話。
だから、「部落」に関する読み物とかは、「部落」にいる人だからという理由で差別されちゃうって話が多かった。
差別は駄目っていう話のうちの一つですね。

受けていた当時は「???」な感じでした。子供心には「部落」とかまったく理解できなかった。差別は駄目ってことくらいは理解できたけど、毎年ある種うんざりはしてた。だから、つまらないというと確かにつまらない。だって、現代でそんなこと考えるなんてあまりにもばかばかしいからね。子供のころは、実際そんなこと、どうでも良かったし。で、しかも、それに関する感想文とかそういうのを提出しないといけなかったから、毎回なるべく、いい子ちゃんな感想文を出してた。

ただ、今思うとあれはいい授業だったと思う。村社会において確立されてしまった「部落」というものを考えるきっかけとしてはね。

  • 回答者:とくめい (質問から26分後)
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関西人なので同和教育は受けました。

>「部落差別」みたいな現代につくられた「階級社会」を否定することだったりいわれなき人種差別のことだったり

その通りです。でもいい教育かどうかは諸刃の剣です。
以前に私が立てた質問です http://sooda.jp/qa/51830

  • 回答者:都 (質問から6分後)
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