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靖国参拝は憲法違反ではないですよね?

終戦の日 憲法改正で「靖国」決着を 参拝反対論は根拠を失った
2013.8.15 03:09

 靖国の杜(もり)にはきょう、大勢の遺族らがお参りすることだろう。

 境内の外では、内閣総理大臣、閣僚らによる靖国神社参拝は、外交上、歴史認識から見て是か非か、憲法に違反するか否か、をめぐる議論が今も喧(かまびす)しい。

 国に命を捧(ささ)げた人々の霊は静かに追悼したい。後世の指導者がぬかずくことを憲法違反とする議論は、国民感情と乖離(かいり)している。戦後68年も経て、なお続く論争の決着を急がなければならない。

 産経新聞が今春発表した「国民の憲法」要綱がその解決への道筋になることを期待したい。

 ≪本紙の「要綱」で明確に≫

 違憲論はそもそも、国は「いかなる宗教的活動もしてはならない」という日本国憲法第20条3項を根拠としている。条文を厳格に解釈し、参拝はそれに抵触するとみる原理主義的な考え方だ。

 しかし「いかなる宗教的活動」とは何をさすのか。どんな行為が許容され、または違反になるのか。この曖昧さこそが論争の種になってきた。

 産経新聞の「国民の憲法」要綱第26条3項は、「国および地方自治体は、特定宗教の布教、宣伝のための宗教的活動および財政的支援を行ってはならない」と規定し、曖昧さを排した。



 これに照らせば、「布教」などの意図がないことが明らかな首相参拝は合憲、儀礼的な玉串料の公金からの支出も可能になる。

 憲法改正が実現し、この規定が生命を得るなら、長年の議論は一夜にして解決をみるだろう。

 憲法解釈は法廷でも争われてきた。平成13年など小泉純一郎首相(当時)の一連の参拝だけをみても、大阪高裁、福岡地裁は、それぞれ賠償請求を棄却しながら、傍論では「違憲」とした。

 しかし、最高裁で参拝自体への憲法判断が示されたことはない重い事実を指摘しておきたい。

 憲法論争以外にも、総理大臣の靖国参拝に反対の人たちは、さまざまなことに主張のよりどころを見いだそうとする。政治的思惑で異議を唱える勢力も存在する。

 反対論の論拠の一つに、いわゆる「A級戦犯」14人の合祀(ごうし)がある。昭和天皇がそれを機に親拝を中止されたのだから、総理大臣も参拝を控えるべしとの主張だ。

 「昭和天皇が合祀に不快感を示されていた」とする富田朝彦元宮内庁長官の日記など「富田メモ」が根拠の一つになっている。



 しかし、昭和天皇がA級戦犯の何人かを批判されていたとの記述があったとしても、いわば断片情報のメモからだけで、合祀そのものを「不快」に感じておられたと断定するには疑問が残る。

 むしろ、昭和50年のきょう、三木武夫首相(当時)が参拝した後、国会でご親拝についての質問が出たことから、宮内庁が政治問題化するのを恐れたのではないかという論考が説得力を持つ。

 合祀がご親拝とりやめの原因なら、その後も春秋例大祭に勅使が派遣され、現在に至っていることや、皇族方が参拝されていた事実を、どう説明するのか。

 ≪我国にとりては功労者≫

 昭和天皇の側近だった木戸幸一元内大臣の「木戸日記」も、大きな示唆を与えてくれる。

 昭和20年12月10日の項、昭和天皇が、A級戦犯に指定され、収監を控えた氏について、「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」といわれたとの記述がある。昭和天皇のお気持ちの一端がうかがえる。

 そもそも、昭和天皇のご胸中を忖度(そんたく)し、総理大臣らの参拝の是非を論じること自体、天皇の政治利用であり許されまい。



 産経新聞とは立場が異なる朝日新聞の調査を紹介しよう。

 参院選直後の7月23日付によると、同紙と東大が共同で非改選を含む全参院議員に聞いたところ、「首相の靖国参拝」に賛成が48%、反対は33%だった。憲法改正の是非では「賛成」「どちらかといえば賛成」が計75%と改正の発議に必要な3分の2を超えた。

 直近の選挙で国民の信託を受けた新議員を含む全参院議員の回答だ。憲法改正、公式参拝の道は開けた、とみるべきだろう。

 残るは近隣諸国の干渉だが、その不当性について、今さらあらためて論じる必要はあるまい。

 安倍晋三首相がきょう、予想を裏切って大鳥居の下に現れることを望みたい。さもなければ秋の例大祭は、ぜひ参拝してほしい。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130815/wlf13081512030017-n1.htm

  • 質問者:匿名
  • 質問日時:2013-08-15 13:37:12
  • 0

日本国憲法で政治家の靖国参拝は違憲ですが、
占領下の日本国憲法制定自体が違憲行為でした。
よって日本国憲法の無効確認を済ませば、政治家の靖国参拝は違憲ではありません。
違憲どころか義務かもしれませんがw

===補足===
政教分離の原則に反し、
>大阪高裁、福岡地裁は、それぞれ賠償請求を棄却しながら、傍論では「違憲」とした。
とありますし、去年末の政権交代前、自民党が米国に憲法解釈の相談に行った事から分かる通り、占領憲法の解釈を決めるのは占領憲法を作った米国なので、ちょっと乱暴ですが米国がダメって言ったら違憲なのだと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から7時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

え、違憲なの?

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憲法違反では無いと思います。
自分の思ったとおりに行動すべき事です。

  • 回答者:匿名 (質問から6日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

もちろん憲法違反ではありません。

  • 回答者:匿名 (質問から6日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

日本だけでしょうね こんな 訳のわからんことを 言われているのは

  • 回答者:匿名希望 (質問から2日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

もちろん憲法違反ではないです
参拝するべきです

  • 回答者:sooda (質問から1日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

国のために亡くなった方に敬意を払うのは、人間の義務です。

  • 回答者:匿名 (質問から10時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

そもそも「宗教活動とは何だ?」という前に「宗教とはなんだ?」が、特に、日本において曖昧だから、違憲・合憲の議論自体が、なかなか成り立たないと考える。

この世ではない死後の世界とされる、黄泉の国、あの世、天国や地獄の存在を信じていることが、「宗教を持っている」ことだと、私は理解する。

仏教については、釈迦の死後に作られた仏教については、まさしく宗教と言える。
しかし、生前の釈迦自身は、自然の法則を理解し、それを悟ること、としているので、死後の別の世界の想定は、特に、していない。
よって「釈迦自身の仏教」は宗教ではないと、私は理解している。

「信教の自由」は、一方で「信教からの自由」も保障されてこそ、成立するはず。

公人、つまり私個人も含む国民や市民を代表する人が、公人の立場で宗教活動をすると、対外的にも、私自身も行ってしまったことになる。

官僚など公の肩書を持った政治家が公の肩書の立場で、私とは異なる宗教を持ち、活動をすれば、私の信教の自由を侵したことになる。

つまり、国家的に信教の自由を侵してしまうのであり、当然、違憲ともなるはず。
政治家は、避けるべきだ。
一方で、私人として宗教を持ち活動するなら、何ら問題はないと思う。
政治家などは、そのあたりを明確にするため、面倒ではあるが、私人であることを常に表明すれば、問題はないと思う。

逆に言うならば、このことを理解していない政治家は、失格となる。

もっとも、「死後の別の世界」を想定して、それで健全な政治の実現が、可能なのだろうか。
私は、とても無理だ、と思う。

「実際に生きていた人が死んで神になる」という宗教自体、日本でこそある程度、一般的に信じられている。
しかし、世界はどうなんだろうか。
中国や韓国の指導者達は、日本の政治家達の靖国参拝を、批判している。

ということは、彼らも、この宗教を信じている、ということになるではないか。

いずれにせよ、私には理解できない不思議なお話である。

  • 回答者:団塊 (質問から8時間後)
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