僕は神経症です。
神経症には、強迫神経症と不安神経症とか、学術的には区分けされていますが、神経症の私から見たら「無理やり、枠にはめた理屈」の感じがします。
僕は「閉所恐怖症」の部分がありました。
電車に乗れない、バスに乗れない・・・・。
どういう風になったかというと、体が宙に浮いたような感じなのです。
これは医者に何度も具体的に説明しましたが、理解の領域を超えていたようです。
地に足がついていないので、体が宙に浮いたような感じで落ち着かなく、強烈な不安がでてきます。 不安は身体症状に即座にで、僕の場合は「腹下し」になりました。
電車やバスに乗ると5分も辛抱できません。 閉ざされた場所にいる不安になるのですが、それが強烈になるのが、トイレにいけないと分かっている場所でした。
どういうふうにしたかというと、身体症状が出る前に、乗り物から降りてトイレに急行していました。 即座に対応できるように、日頃から「降りたらどこにトイレがあるか」調べていました。
移動するときには、トイレがある乗り物を優先的に使いました。 トイレがあるだけで安心感があります。
私の経験からは「逆らわないこと」です。 「閉所にいて怖くなってもいいじゃないか」こういう気分になることでもあります。
僕も医者に言われていましたが「別に、腹下しになってその場で最悪の事態になってもかまわないじゃないですか。死ぬわけでないですよ」こんな感じです。
医者のいうことは一部分かりますが、「最悪の事態」は、「腹下し」なので、酷い醜態を見せて「恥ずかしい思い」をしないといけません。 誰でも推測できる「におい」は解決できません。 色々相談して、「蓄便袋」まで取り寄せたことがあります。 これは、人工肛門を付けた人がつかう器具で、そういう病気の人に相談してサンプルを送ってもらったこともあります。 ただ、においの問題は解決できないので、必死で助言してくださったその方の期待には応えられませんでした。
「開き直り」しかないと、やがて知るようになります。 いちど、閉所で不安発作に陥ると、強い精神抑制剤もききません。また、そのような恐怖が学習されてしまい、事態はますます悪くなります。
医者もその「開き直り」を私に指導していたのが現実でしょう。 だれが考えても「公共のバスや電車で腹下しをそのままにしていたら、どのような結末になるか」容易に想像できますが、当時の医者は、大まじめな顔をして「別に、おなかを下してもいいじゃありませんか。下着を汚してもよいじゃありませんか。においがしても良いじゃありませんか。」簡単にこのようなことを言っていました。
閉所恐怖とは、強迫観念の一種です。(強迫観念とは、自分で意味がないと思っているばかばかしい考えが頭から離れないこと)
現在でも、そのような「腹下し」の状態なることは、しばしばあります。 ではどうしているか? 書いたようにトイレの場所を調べていて、最悪の事態になる前に予防しています。 それと、「開き直り」を正確にするために、時間にはゆとりをもった行動をしています。
それでも、窮地に陥ることはたまにあります。 人間である以上、病的かどうかは別にしてこのような面は誰にでもあります。
閉所恐怖症とどう付き合うか。 これもポイントでしょう。
病院で知り合った潔癖症の女性が、手を洗いたくて30分ぐらい洗っても気分が落ち着かないと電話してきたこともあります。
僕は「誰もそこにはいないんだろう?」と聞くと、そうだと答えます。 「だったら、一時間でも二時間でも気分が落ち着くまで洗えばいいじゃない」と言うと、手が荒れて困るようなことをいいます。「クリームをいつも用意しておいて、手洗いのたびにクリームを付けたら」と返事したことがあります。