RAYMOND LEFEVRE-AME CALINE バラ色の心~レーモン・ルフェーヴル
http://www.youtube.com/watch?v=F4jzxMwGEYM
レイモン(レモン)・ルフェーブル(Raymond Lefèvre、1929年11月20日 - 2008年6月27日)はフランスの編曲家、指揮者、作曲家、ピアニスト、フルート奏者。イージーリスニング界の第一人者として有名。
フランスのカレーに生まれる、パリ音楽院を卒業。マルセル・モイーズに師事したパリ音楽院の学生時代に、学費捻出のため演奏していたダンスホールでジャズに傾倒、プロ・ミュージシャンとして活動を始める。
フランク・プゥルセル楽団でのピアニストを経て、1956年9月に女性歌手ダリダのデビュー曲「バンビーノ」の編曲と伴奏指揮を担当、レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラ( Raymond Lefèvre et son Grand Orchestre )としてのスタートを切る。
その後、「ミュジコラマ」「パルマレス・デ・シャンソン」などフランスの人気音楽番組や「サンレモ音楽祭」などで指揮者を歴任。
レコードでは1958年に「雨の降る日」、1968年には「ばら色の心」「ラ・ラ・ラ」が相次いで全米ヒットチャートにランクインし、注目を集める。
映画音楽も手がけ、ルイ・ド・フュネス主演作品などでサウンドトラック盤を数多く発表している。
日本では1969年にシングル・カットされた「シバの女王」がロングヒットとなったことから知名度が一気に上昇、ポール・モーリア、フランク・プゥルセル、カラベリとともにイージー・リスニング全盛期を迎える立役者となった
2008年6月27日、パリ郊外で死去。78歳没。死因は伝わっていないが、長く闘病生活を送っていたという。
ミッシェル・ポルナレフ イタリア語セルフカバー2
http://www.youtube.com/watch?v=dbU1gvTL1AQ
ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff, 1944年7月3日 - )はフランスのポップス・シンガーソングライター、コンポーザー。
フランス共和国ロット=エ=ガロンヌ県ネラック出身。 フランスでは国民的歌手としての人気があり、日本でも「シェリーに口づけ」、「愛の休日」などのヒット曲で知られている。
名前の発音はフランス語では「ミシェル」に近いが、日本では長年「ミッシェル」と呼び慣わされている。
フレンチポップスの大御所ですよねぇ、この人の歌でフランスにあこがれてしまったおネエでございます。
Henry Mancini, "Pink Panther Theme"
http://www.youtube.com/watch?v=jBupII3LH_Q&feature=related
1924年にオハイオ州クリーブランド市にイタリア系アメリカ人として生まれ、ペンシルベニア州で育った。
出生時の名前はエンリコ・ニコラ・マンチーニ(Enrico Nicola Mancini)。
幼い頃より、フルート奏者の父親からフルートとピッコロの英才教育を受けた。ハイスクールを卒業後、ベニー・グッドマンの勧めでニューヨークへ移住する。
名門ジュリアード音楽院に進学し、作曲家マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコとエルンスト・クシェネックに師事した。
第二次世界大戦では空軍に所属し、マーチングバンドでも活躍した。
その後テックス・ベネキーに作品を認められ、グレン・ミラー楽団にアレンジャー兼ピアニストとして採用される。
1952年にユニバーサル映画に入社する。音楽監督のジョセフ・ガーシェンソンのアシスタントとして修行しながら、アボット・コステロの喜劇や『大アマゾンの半魚人』等のB級ホラーの劇伴を手がけた。
そして『グレン・ミラー物語』、『黒い罠』といったヒット作で頭角を現わす。
1960年代からは主に、『ティファニーで朝食を』『シャレード』などオードリー・ヘップバーン作品で注目を集めた。
特に『ティファニーで朝食を』でヘップバーンが歌った『ムーン・リバー』はスタンダードとなった。
他に『刑事コロンボ』のテーマ(もとはNBCのウィール、NBCミステリー・ムービー のテーマ)や『ピーター・ガン』のテーマ、『ピンク・パンサー』のテーマ、『ひまわり』のテーマなどがよく知られている。
温厚な人柄で知られ、ヘップバーンやクインシー・ジョーンズ、ジェリー・ゴールドスミスら数多くの友人に慕われた。
またモーリス・ジャールやミシェル・ルグラン、ラロ・シフリンといった外国人作曲家にも親身に関わった。
人望も厚く、いくつかの大学で名誉博士号を受け、後進の育成にもあたった。
1994年6月14日、膵臓および肝臓癌のためビバリーヒルズの自宅にて死去。70歳。
恋はみずいろ ポールモーリア
http://www.youtube.com/watch?v=LWX7rBV4Yx4&feature=related
ポール・モーリア(Paul Mauriat、1925年3月4日 - 2006年11月3日)は、フランスの作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者。特に日本では「ラブ・サウンドの王様」と呼ばれ、イージーリスニング界の第一人者として有名。
2000年、サンスターCM曲として1982年にモーリアが作曲しながらスタジオ録音が実現しなかった『私は風が好き』を含む4曲をプライベート録音、2003年の来日コンサート会場および発売元のプロモーター「ミュージックリーグ」の通信販売限定でリリース。
これがモーリアの最終レコーディングと目されている。
2006年10月末、フランス南部ペルピニャンの別荘に滞在中、体調不良を訴え検査入院したところ、急性白血病であることが判明。同年11月3日午前1時、急性白血病による心不全のためペルピニャンの病院で逝去。6日に火葬に付された。
同年11月6日のJFN系のFMラジオ番組「JET STREAM」では、急遽彼の追悼特番を放送、同年12月17日放送のTBSラジオのラジオ番組「バックグラウンド・ミュージック」でも追悼リクエスト特番が放送された。
また、同年12月15日放送のタモリ倶楽部でも追悼プログラムが構成された。
2009年11月、ジャン=ジャック・ジュスタフレ指揮ポール・モーリア・メモリアル・オーケストラによる追悼コンサートが日本および大韓民国で開催された。
同公演につき、未亡人は「日本のファンとプロモーターに対する特別の配慮で実現させたものであり、故人の遺志によりモーリアの死とともにオーケストラは消滅した」と後日コメントしている
COULEUR TENDRESSE- RICHARD CLAYDERMAN
http://www.youtube.com/watch?v=zRSrBpwse1w&feature=related
1953年12月28日、パリ郊外のロマンヴィルで生まれる。幼少時よりピアノに親しみ5歳で作曲を始め、学校の教科書よりも楽譜の方がよく読めたという。
16歳でコンセルバトワールを首席で卒業。
その後、最終的にポピュラー音楽の道を選び、初めはスタジオ・ミュージシャンや有名歌手のバック・オーケストラのピアニストを務めていた。
クレイダーマンの評判を聞きつけたプロデューサーからポール・ドゥ・センヌヴィルとオリヴィエ・トゥッサンが行うオーディションの誘いを受ける。
それは、音楽が過激に走っていく時代にあえてシンプルで美しいメロディーの普遍性を訴える新しいキャラクターによるピアニストを探しているところで、芸名は「リチャード・クレイダーマン」、デビュー曲は「渚のアデリーヌ Ballade pour Adeline」と決まっていたという。そこで集まった約20人の中からピアノのテクニック、音楽性、そして容姿のいずれにおいても優れていたのがクレイダーマンで、センヌヴィルが設立した新しいレコード会社「デルファン」から1976年、「渚のアデリーヌ」でレコードデビューした。フランスではそれほど注目されなかったが、その後当時の西ドイツのテレビドラマの主題曲に使われたことにより全西独シングル・ヒット・チャートの第1位に輝き、これを契機にスペイン周辺の国々でもヒットし逆輸入の形でフランスでもヒットした。
この話を聞き、当時のビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)がデルファン社とクレイダーマンに関する日本での独占販売契約を締結(これは現在でも続いている)。1978年、日本で初めて彼のレコードが発売されると直ぐに評判になったという。
1980年には日本で初のコンサートを開き、「ニュー・イージーリスニング・ミュージック」として注目されるようになった。
以来、毎年5月前後に日本でコンサートを行うほか、年300日はコンサートをしており、ギネス記録に認定された。劇場版アニメ『綿の国星』のテーマ曲を演奏している。
特に日本でその名を初めて広めたのは1981年のシーボン化粧品のCMで流れた「愛のコンチェルト」であり、このCMは当時頻繁に流れ、たとえ曲のタイトルを知らなくても曲を聴けば「あの化粧品の曲だ」とわかるほどであった。
1982年には「星のセレナーデ」に岸田智史と下田逸郎が歌詞をのせ、「潮風のセレナーデ」のタイトルで岸田がカヴァーした。
オリジナル曲は、センヌヴィルやプロデューサーのトゥッサン作曲のものが多い。
他のアーティストとの共演も行っており、アルバムではロイヤルフィルハーモニー管弦楽団(『ピアノ・ラプソディ』 1985年)、ジェームス・ラスト・オーケストラ(『木漏れ日の詩』 1991年)、レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラ(『郷愁の詩』 1995年4月21日)との共演盤がある。
てな訳で今日はオヤジがよく聞いていた曲のリストの中から探してまいりました。
ほとんどがレコード盤でして、CDは余り聞かなかったみたい・・・・
でも今はYOUTUBEがありますからね、検索をかければ、一発で発見!!の時代でございます。
私的にはリチャードクレ―ダーマンが好みなんですが、視覚的にも聴覚的にも訴えるモノがあります。
どんだけミーハーなんだ!!と言われそうなんですけど、ヨン様よりずっといいぞと思っているのは私だけ?
ピンクパンサーは音楽の方がインパクトありましたもんね、ドリフの番組でも使っていたかな?
違った?最近ボケが入っているから結構勘違い、いやボケが入る前から、勘違いばっかだろう・・・の息子が呟いているけど、そんな事ばらさなくてもいいんだよ!!子供は昼寝してなさい!!
まあ明日はバラではなく、桜の花見に行ってきます。
どっかの作家知事が自粛だって言ってるけどね、普通の経済活動をするのも東日本にエールを送る為には必要なのよ、わかってるの!!とPCの前で呟いています。
勿論都知事選では作家先生には投票しませ~ん!!
どんちゃん騒ぎするのと普通の経済活動をするのは違うんだよ!!
はい、あしたの宴の準備をいたしますので、このヘンで一旦終了です。
勿論茨城のレタスに水戸の納豆、岩手県と福島のお酒(本当はラーメンがよかったんだけど、会場は火器厳禁の公園なので、用意できなかった)そして仙台の牛タンその他を予定しております。
岩手ホヤが手に入れられなかったのが、残念ですが。
デザートにはずんだあんを使ったモノ、これは仙台出身者が自分で作ってくる~と叫んでおりましたのでおまかせ、それと誰かが小岩井のチーズがあれば、ゲットして来るねぇと言ってましたが、ゲット出来たんだろうか・・・・。
息子には公園から脱走して浦安に帰る!!と言われると困るので、留守番して貰います。
今浦安も大変だし、お兄ちゃんたちもお休み中だから、浦安に帰ってもムダなんだけどね、遊んで貰えないんだよぉ~
で