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質問

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「人間関係をよりよくするために、心理学を習いたい」という、若い方の意見をよく聞きます。

ですが、心理学の示す範囲は、広すぎて、そもそも、この場合ヒーリング(心理療法)の事を指すのか、人の行動や習性を知りたいのか、さまざまに受け取られます。まあやってることが解ればいいとは思うのですが。

心理学は、そもそも、現象学から、社会学とともに分かれ出でたもので、知の体系である哲学からその端を発しています。

なのに、問題なのは、現象学が、18Cに科学が生まれる以前の思考体系としての、明証性を用いて有機的に人間を扱うのにたいし、心理学は、人間は、生活体という見方よりも、その当時、ガリレオから始まった科学を用いたことから矛盾が起こります。

心、精神という概念が、デカルト以来、解決されていないのに、「心の存在」を科学の証明なしに、その概念を使用してしまったのです。

この時点で、科学に位置をおいてしまった心理学は、便宜的に「心」という概念を、仮定してしまった、と断りを入れなければならないはず。

なぜなら、空気は見えなくても、反証的に、証明できますが、心は存在すら、できていません。

ゆえに、どうしても私は、全部とはいいませんが、心理学が、無機的な、科学的思考に基づいていることに、気づいていない人が、あまりにも多いのに抵抗を覚えます。

せめて、このことをわかって学んでもらいたいと思うのです。

このような矛盾に悩む方、ご意見ください。

また、セオリーとしてでも、解決を見た方、教えてください。

  • 質問者:ころべえ
  • 質問日時:2010-05-12 16:16:01
  • 0

回答してくれたみんなへのお礼

お付き合いありがとうございました。

若い人が“心理学”を学びたいということ。
それが、精神的支柱を求める行為でないことを願っています。
たとえば、
[1Q84]に出てくる、人間存在の精神的支柱と化してしまった宗教団体みたいな性格を持つ物に、ならないように。
人はいつか死に、被踏性(自分の思うようにならない)と立ち向かい生きています。
幾多の困難さえ伴う、経験の繰り返しの中に、人の成長があるのは言うまでもないこと。

よく言われるように、誤解されたまま認識されている、哲学がその役割を果たしてないせいでしょうか?それもあるかもしれませんが、

でも、結局のところ、学問にしろ、生き方にしろ、自分の主観を信じ、その検証を良識的に追求していくしかないように思います。
心理学でも、ピアジェ、太田昌孝、ユング、カール・ロジャーズ卓越した研究者が、そのようなことを無視してきたようには思えません。

>・・・せめて、・・・わかって学んで・・・思うのです。

わからないから・・・【学】。

で、いいのでは?

それも心理学では?

心理学とはいえないかもしれませんが、
株式市場などの金融市場の動きなどに応用しています。
独自的に。

これが面白いように・・・

全てわかって使っているものなどないと思いますし。

全く違う事ですが【電気】など、ほとんど解明されていません。

その一部の特性が便利なのでそれを・・・

そこから、段々とわかるようになるかも。

===補足===
医学の方でですか・・・

私は、℃素人で過去の記憶でですが。

読売新聞の過去の記事を調べていた時に、

副交感神経を鍛錬して体を自分でコントロールする連載の記憶があります。

薬も、効くと思い飲む場合とそうでない場合でかなり違うそうです。

ですから、臨床にかなり時間がかかるという事はそのためだそうです。

がん治療のTVで、

ある人が完全に治った治療法があるそうです。

が、他のどんな人にも効かなかったという結果でした。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご丁寧なコメントありがとうございます。

私も、kingofitouさんのように、科学を基盤にした学問は、当然、その方程式みたいなものに当てはまらないことが、必ずあると思うんです。それは、大切な知識だと思います。

経験的なことを基にした、学問も当然あると思います。だから、地震とかそういう調査もけんめいにおこなわれているんだと。

ところが、心理学に関連した、体験をお話しすると、、私自身がパニック障害を起こした後、胸の神経叢が痛いと、言っていたら、心理士の人が、そういう風に思い込むんだよねと言うんです。

人間を生命体、生活体と考えれば、神経がやられれば、精神だけでなく、身体レベルでの損傷も、当然あるって言う連続した思考が、その心理士にはできないんです。

まあ、もともと、臨床心理士は、統計、心理学、脳科学ぐらいで、心理の勉強で、生体、とか生物学とかは、やらないんですけどね。

良く内科医が、下手な精神科医よりは、役に立つのも経験しています。

私の父が、ショック状態で、下血したとき、内科の先生が、これだけ、体に負担かかってると、刃物なんか置いとくと死にたくなる。

メジャートランキライザーを少しだけ出しとくねと言って服用させたら、術後せん妄が、おちついていたんです。

このように、心→体と連続的に考えることができるのに。

結局、私も、神経が痛んで、モルヒネで、抑えているほどです。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


再度質問に、本当に、歩み寄ってくださってありがとうございます。

おっしゃっているのは、自律神経のコントロール、自律訓練のことですね。

ええ、これが、禁忌があって、神経症レベルか、健康な人になら、適応で、私もやったことがあります。

確かに血液の流れ、それによって、暖まってくるからだの部分を意識することは、できました。

でも、そのぐらいで。よほど達人じゃないと。(意識し、感じられたことは成果だと思うんですよ。)

これは、確かに、心理療法的な事、心から体への働きかけかも。

まあ、心理療法の始まりが、プシュマー(間違ってたらすみません。)という人の暗示療法で、いい意味で、「だまし」が、ヒーリングの大切な要素だそうです。

神経症レベルでは、ほかに、森田療法というのがあって、簡単に言うと欲望が、出てくるまで、臥床を続けるというもので。

いずれも、統合失調症(精神分裂病)レベルに至った人が行うと、害があります。

薬のことは、プラセボ効果のこと(擬薬)ですね。

これは、臨床的に効果が、かなりあります。

心から体への働きかけだ、ということもできるでしょう。

しかし、私の問いは、デカルトの心身問題が解決していない以上、

心とは、科学的処理(現在に生きる以上それは、必要だと思います。)を円滑にするための、便宜上の概念で、独立した心の存在は、ありえない、

有機的な操作、体、社会、全体的に捕らえないと、やっぱりだましは、だましで終わりだと。

心のこのような概念を、心得ていないと都合のいいとき科学理論を持ち出し、悪いときには、封じてしまう、

使用者の思い通りに、操れる学問や、療法に、なってしまうと思うんです。

そんな場面によく出くわします。自分勝手な発想だったらすみません。

長文を読ませて申し訳ないです。

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難しいと思いました。

  • 回答者:匿名 (質問から25分後)
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

コメントありがとうございます。

簡単な実例から述べてみます。(例の1部に過ぎないのですが、)

お百姓さんが、日照りのとき、畑の作物が、「水が欲しい」聞こえるようだ。と言いました。そこに、心理学を勉強をしてる人が、それは、投影でしょ。といいました。

フロイトの言うところの、防衛機制の「投影」とだと言うのです。簡単に考えると、思い込みだということです。

しかし、元来、科学が、出回る前までの思考は、こういうお百姓さんのような、思考が多かったと思われます。

お百姓からみれば、長年の経験から植物の生育を知覚し、記憶しそれを組み合わせ連合してきた結論なのです。

そこには、プロセス(経験過程)を経た分析が、あります。

主観は、知覚と、その連合の産物で、思い込みだけと言うのは、間違いです。

また、人間は、過去を把持してその経験の連合で、未来に対処します。(これは、実験されています。)

それがあるので、段差のある道路も、特に意識せずとも、上手に歩けます。上手に歩けと、頭に命令しながら歩いている人はいません。

本を丸暗記できないので、下手な説明で申し訳ないですが、こんなところです。

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