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「ゆとり教育」って結局失敗したようですが、そもそも当初の理念通りに実現しなかったんじゃないでしょうか。そもそも「ゆとり」っていうネーミングが悪くて誤解されたんじゃないでしょうか。

  • 質問者:えかう
  • 質問日時:2009-12-20 00:22:48
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これでゆとり教育は

2度目の失敗です。

教員も大変ですが、生徒はもっと大変です。


お互いにゆとりにならない、名前だけのゆとり。

学力低下と言われて、生徒がかわいそうです。

  • 回答者:もとせんせい (質問から7日後)
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小学生の学力の低下がそもそもでしょう。
学力低下には、「ゆとり教育」と銘打った打だけで、実際、教員が何をすべきかがわかっていなかった点もあると思います。
また、文部科学省の小役人達の浅はかな考えが、そもそもの原因だと思います。

  • 回答者:うどんだいすき (質問から6日後)
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教員です。
「ゆとり教育」はそれまでの「詰め込み教育」の反動から出てきた言葉だと思います。
「ゆとり教育」として最初に出てきたのは学校裁量の時間。これはうまく機能しませんでいした。その後、教科内容の削減と「総合的な学習の時間」の登場です。「総合」は学習指導要領には大枠だけしか記載がありません。学校ごとに一から計画を立て、実践しなさいということでした。
そのために、学校によってやっていることはまちまち。中には小学校でやったことと同じことを中学校でやる所も出てきました。内容も教科の補充学習、行事の練習・準備から、テーマを決めての調べ学習など、千差万別。
教科内容の削減による学力低下の批判から、今回の学習指導要領改訂で教科内容の増加が計られ、英語学習の必修も登場しました。
「ゆとり教育」というネーミングもよくなかったこともあります。
教員側としては「ゆとり教育」という名前から教員にゆとりができるだけじゃないかという批判も受けました。
冗談じゃない、と声を大にして言いたい。その時その時の場当たり的な教育政策によって、振り回されるのはいつも現場なのです。総合的な学習を一から作るために、現場ではどれだけ努力、苦労、混乱したからわかりません。「ゆとり教育」は現場にとってはとてもゆとりと言えるものではなかったです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3日後)
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ゆとり教育の代表例が総合的な学習の時間でした。
 教科の発展的な補充学習(教科と実生活の関連とか),合科的(理科と社会をあわせたような)な学習で複数の教科で習ったことを総合的に活用し,詰め込み学習から考える生きた学力へ,という趣旨だったと思います。
 しかし,多くの学校は他校と違う宣伝になるような活動に(校区の伝統文化とか,1年かかって合唱や演劇を完成して披露するなど)走ってしまい,本来の活動ができなかったことに問題があるのではないでしょうか。これらの活動も教科と関わりがあるので,その点の指導が十分になされたら違った結果になったのかもしれませんが,とにかく期限までに披露できるように,ということが優先されてしまいましたから。
 要するに,文科省の企画と現場の実践の方向が違ってしまったことが,いちばんの問題だったのではないでしょうか。

  • 回答者:soodayo (質問から19時間後)
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発想の時点で誤りです

世界一だった子供の学力は、今ではインドにさえ劣っています

  • 回答者: 匿名 (質問から11時間後)
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「ゆとり教育」の理念は飽くまで建前であって、
その本音は「手抜き」です
教育政策の大元締からして三無主義ですから、生徒がやる気を出すわけがありません

  • 回答者:匿名 (質問から11時間後)
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たしかにそう思います。
ネーミングも良くないですね。
今では出来ない若者の代名詞のような言葉になってしまいましたから。

  • 回答者:匿名 (質問から10時間後)
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たしかに、ネーミングによって誤解を招き、うまくいかなかった部分もあると思います。しかしそもそもの原因は現場の状況を知らない学者やお役人が勝手に進めた結果でもあります。硬直化した教育課程を見直し、考える力をつけると言うことがそもそもの目的だったのですが、そのことがあまりできないで、基礎学力の部分の内容を削り、小学生の段階で「総合学習」を取り入れたことが大きいと思います。

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はい。今になって失敗や悪口の人沢山いますが、

本来の目的 主旨・・・・ 違います。
失敗しましたが、良かったとという学校もあります。

ずれてしまった というのかな。

  • 回答者:上手く説明できません (質問から10時間後)
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アレって子供の豊かな教育のために!

とか大きなこと言ってましたが、実際は教師が週休2日を貰うための
方便だった気がします。
他の公務員はほぼすべてなってるのに教師だけ休み1でしたからね。

見直すという話も土曜授業復活って話聞きませんしね

  • 回答者:匿名 (質問から9時間後)
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暗記一辺倒のテクニック学力から総合的な学力の養成への転換という本当の意味の「ゆとり教育」でなく、勉強時間自体を減らす方向に道を外れてしまったのが理由です。
反復練習自体は必要なのに、それすらも捨ててしまったのはいけません。ただの暗記と反復練習は違います。

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あなたのおっしゃることを考えてみました。
たしかに、ネーミングがすごく変です。
「ゆとり」と「教育」が、これまでの日本の教育のイメージと真逆だから。
どんなものかがはっきりしませんね。
後期高齢者というのは変な想像をかきたてますし。
広告代理店とか、プロに考えてもらうのがいいかもしれませんね。

  • 回答者:匿名 (質問から9時間後)
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さぼり=ゆとり のようなことになっている人が増えたんじゃないのかな。

お金のゆとりのある家庭では、その分習い事や塾に通わせて能力がアップし、そういうことのできない家では、ただ子どもは遊んでいるだけ。

これでは、格差が開くだけで、子ども時代のゆとりのしわ寄せを大人になった時に自分自身が背負うことになりかねません。

  • 回答者:孔明 (質問から9時間後)
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ゆとりをゆとりとして使えない大人
ゆとりの意味を時分に都合良く解釈する大人
ゆとりの意味を穿き違えてる大人
のせいです。

ゆとりなんてもんは、ある程度満たされてから、初めて生まれるものですし…
例として、心や生活、金銭のゆとりなど、どれも色んな経験をし、それなりに頑張って得られるものです。ゆとりを持てるまでは必死こいてるんです。
まだまだ必死こいてないガキにゆとりなんて与えてどうすんだ?って感じです。

  • 回答者:教育放棄でしょ? (質問から6時間後)
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基礎学習を軽視し、学校側と家庭側の時間的負担を重くしただけだと思います。

8年位前にゆとり教育の学習内容で、円周率を3にするとか、小数点以下第2位以下の計算をなくすとか、挙句の果てには理科で三日月をなくし満月・半月・新月のみにするときいたときには呆れました。小数点第二位以下の計算をなくしては%の概念はわかりにくいし、三日月がなければ三日月の美しさを讃えた日本の文学がわからなくなるでしょう。
読み書き・そろばん(つまり、国語と算数)は江戸時代の寺子屋時代から重要視されていました。そんな基礎学習の内容と時間を減らしてまでやりたかった教育は示されないまま、その分、子供たちは何を学んだのか。「ゆとり教育」時代の甥を見ているとそれがさっぱりわかりません。授業でこなせなかった学習内容は宿題の増加となり、宿題を作成・添削する教師と宿題をさせる家庭の負担が増えただけのように思えます。

はっきり言って「ゆとり教育」は失敗です。その前後の世代に「あいつらは『ゆとり教育』世代だから使えない」という烙印を押されるような気がします。よく会社で「あいつらは『バブル入社世代』だから使えない」と言われているのと同じことが起こると思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3時間後)
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そうですね。
大人社会にゆとりがないのに子供だけ家にいる時間を長くしたからって
結局塾通いか放ったらかしにされるかで
学力差が顕著に出てしまう結果になっただけだと思います。
九九も学校で教えている時間がないという話も聞きましたからね。
まぁ子供が一番被害者ですが。

  • 回答者:とくめい (質問から2時間後)
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しょせん薄っぺらい政策でしたから・・・

  • 回答者:匿名 (質問から57分後)
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