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群馬県の八ッ場ダムはなぜ地元の住民が建設中止に対して反対なのですか?

長年建設中止を唱えていて、苦渋の選択をして建設を容認したとしたのならば、流れとして建設中止になれば万歳して喜んでもよさそうですが・・・

川原湯温泉や、「耶馬溪凌ぐ吾妻渓谷」と上毛カルタで詠まれるほどの景観が守られて良かったと何故思わないのでしょう?

よほど魅力的な補償金の約束がされていたのでしょうか?

  • 質問者:わからない
  • 質問日時:2009-10-19 20:29:56
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とある話だと、地元の自民党議員が、中止賛成の声よりも、中止反対の声をクローズアップさせるように仕向けているという話も聞きますので、表の動きを地元の総意とするのはどうかという部分もあります。

確かに、今更中止されてもと言う人もいるでしょうし、自然がこれ以上壊されてはという人もいるでしょうから、賛否両論と言う感じなのでしょうが。

何れにしても、自民党の癒着利権の象徴的なハコモノ、コンクリート政治から、人の命・生活に税金を投じる政治という民主党政権に変わった以上は、中止は当然の事と思います。

  • 回答者:TP (質問から6日後)
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計画から50年が経っているのに、いまだにダム本体の工事がされていないのが
どうも腑に落ちない

50年も経って、ダム建設の中止反対と言っている方がいるが、50年前と今とでは
時代背景が違うので、ダムに頼らない方向を見いだせないのか

建設中止の決断は正しいと思います。

  • 回答者:血税 (質問から5日後)
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住民の強固な建設反対があったからです。
それを時間をかけて納得させてやっと建設容認に持ち込みましたが、今回中止になったということで、しぶしぶ容認した住民達が逆に中止反対を声高らかに言っているのが理解できないのです。

57年間も掛けてやってきているにもかかわらず、未だにダム本体の工事は何もでやられていないことを見ても分かるように、地元の人達の反対がいかに多かったかが分かると思います。

多くの人達が、長年かかって泣く泣く移転したり、お墓を移したり「ダムありき」の体制に切り替えたのに、何故いまになって中止なのか起こるのは当たり前です。

古い歴史のあるいくつ須加の集落が分解されてしまったいま、誰でも冗談じゃないと怒ると思います。喜んでいる人達は、まだ余り何もしていなかった人たちが中心ではないでしょうか。

このダムも例外ではなく、数社の(7社と言ったかな?)特殊法人が出来上がっており、約50名の役人の「天下り」が行われていると聞いています。

これらを考えても中止の方向は正しいと思います。これからいくら掛けたらダムが出来上がるか、過去の数字ではなく、新たに試算してこの計画、自民党の政策の間違いを明らかにして欲しいと思っています。

  • 回答者:あまのじゃく (質問から8時間後)
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>多くの人達が、長年かかって泣く泣く移転したり、お墓を移したり「ダムありき」の体制に切り替えたのに、何故いまになって中止なのか起こるのは当たり前です。

この考え方がわかりません。
今さら中止とはなんだ!と怒るのはわかりますが、それでも先祖伝来の土地がダムのなかに沈まないで済むことはかんげいするべきことではないでしょうか?
やっと吹っ切れた土地をどうしてダムの底に沈めたいのでしょう?

50年の間に、環境と水害の関係についてもエネルギーの需要と供給のバランスについてもデータがそろってきて投資とメリットのバランスが現状に合わなくなって来ました。
(夏場の電力不足の時期にダムは無力。水害は植林の方が効果的など)
メリットがないものを住民の怒りの感情だけで建設を推進させようとするのはやはり無理ですね。

単なるお金の問題ではありません。
確か佐賀の有明海の干拓地の時も同じ騒ぎがありました。

あそこでは「埋め立て」を強行しましたが、反対していたのは他所の人間が主で、地元の人は少数でした。

やはり「長い年月」をかけて説得されて来ている他に、漁業を辞め、埋め立て工事現場で働くようになった人も多く、「埋め立て」を中止されると生活が成り立たなくなる人が多かったからです。

八ッ場ダムも同じでしょう。
もう既に残った住民の生活の手段になっているのではないでしょうか。

そこを敢えて中止するのは、これこそ「弱者切捨て」であり、過去自民党が小泉改革で行った所作と同じです。

悲しいかな、今の日本では誰が政権を取ろうとも「弱者切捨て」を避けて通るのは不可能と言えます。

要は「弱者」が、ある特定の業界なのか、ある特定の地域住民なのかの差でしかないと言うことです。

弱者は騒ぐしか手段がありません。
なので八ッ場ダムの地域住民は騒いでいるのです。

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有明の干拓は、サイを投げられて漁業に影響が出てしまってからなので状況が若干異なると思います。

まだ間に合う状態と、取り返しがつかない状態の差です。
保障の仕方が異なると思います。

生態系は一度壊れてしまうと本に復元するのに時間がかかります。
今回のケースはまだ水没前なので間に合う状態かと

そうだと思います。
あと1000億とも2000億かかると言われても、自分たちには関係ない!
と個人的な利益ばかりを追求しているからだと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から4時間後)
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魅力的な補償金が約束されていたからですよ・
要は金です。

  • 回答者:匿名 (質問から4時間後)
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建設続行した場合の具体的なメリットを分かりやすく説明してください。

工事半ばで中途半端な状態で中止になってももとにはもどりません。
あと、地元の人は多くの方がもう移転を済ませています。
新しい道路ができる事を前提に移転されているかたも多くいらっしゃいます。
どこまで生活再建がされるかもわからない状態で中止に賛成などする人は
ほとんどいないでしょう。これからの事の説明もなく、いきなり中止すると
言われて納得しろという方が無理です。

  • 回答者:トクメイ (質問から4時間後)
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皆さんお書きのように保証金ですよ。
あとは、建設作業続行に伴う雇用ですかね。
ダム建設中止と、とココの人たちの雇用確保という問題は、密接ながら同じ土俵で話し合われる問題とは思えません。従来はそこがあべこべで、雇用確保のために不必要なダムを作るという、先進国とは到底言えないような政策がまかり通っていました。
「景観の重要性」という言い方をされておられる方もいらっしゃいますが、それはあくまで「見た目の観光」という視点であり、これからの日本の治水行政はいったん破壊された自然は回復しないとの認識に基づき、要らないものは作らないという、至極当たり前の姿勢で臨んで欲しいです。

  • 回答者:匿名 (質問から4時間後)
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補償金が魅力的だからでしょ、人間なんて、そんなもん。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3時間後)
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建設続行した場合の具体的なメリットを分かりやすく説明してください。

単純に考えた方がいい。
建設続行であれば、もめることも無く、物事は穏やかに終結を迎える。
一部反対はあるだろうが、住民全体が完全とは言わずとも、納得はしているから。

では、中止の場合どうなるか?
まず、すでに移転をしてしまった人は文句を言う。当たり前の話。この補償をどうするか、ということでもめる。また、補償金はどうなるのか、この点ももめる。
もともと建設に賛成していた住民もいる。この人たちの考えをどうするか。今も根強く反対派がいるように賛成派の意見を無視することはできない。
そして、こういったことをすでに50年も続けている。建設する、といってから50年。ではそれを一旦覆したら、また何年、何十年かかるか計り知れない。もう住民は疲れている、と考えるべきだろう。

また、外側にいる人間がいくら景観の重要性を語ったところで、その地域の住民が暮らせないのであれば、何の意味もない。国宝でも同じような問題が起こっているように、ただ単に芸術性というだけで残すということは、その点を国が補償しなければ、何の価値も無い。もったいない、とか言うのは結局見ている側の意見。当事者でもない人間にこのことを判断することはきわめて難しい。

===補足===
別段、傍観する、とは言っていない。
ただ、中止するにしても、現状の工事をどうするか。撤去するのかそれとも残すのか。問題が山積みで、いつ終えるともしれない交渉がまた延々と続くだけ。今でも人の流出が激しい現状を考えれば、生活できない人がますます出て行くことになるだけでしょうね。
そして、温泉地として残ったとして、現地の人間が生活できなければ、結局なくなってしまう。管理されない土地は、荒廃し、景観が維持されなくなる。そうなっては本末転倒でしょう。

いたずらに国民感情で動くことはしないほうが良い、という話ですよ。現状では判断材料が少なすぎる。補償金の話もそうですが、現段階では中止した場合も建設した場合も試算が甘いですよ。では、何をもって判断すべきか、というと結局のところ当事者にゆだねるよりほかに無いじゃないですか。
現在、村ではもうダムが建設されるものとして予算なり、行動なりを決めていると思いますよ。もう10年以上前の話ですからね、着工が決まったのは。であるならば、村人の感情としては、いまさら方針転換されても遅い、ということだろうし、中止するなら、それ相応の補償がほしいところだと思いますが、もう50年も交渉し続けている状況でもう交渉したいなんて思わないところでしょう。
関心を持つのは至極当然だと思います。しかし、当事者の感情を無視して物事を進めるのはあまりに身勝手といえるのではないかと思うのです。

  • 回答者:とくめいきぼう (質問から3時間後)
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国が投じる財源は最終的には国民の税金です。

国民全員が税金の使い道に関心をもつのは当然ではないでしょうか?

最終的に、継続と中止のメリットを天秤にかけかつ将来的な展望を考えず傍観するというのはいかがなものかと

丁寧な補足ありがとうございました。

魅力的な補償金しか、考えられません。
計画から、50年たっているのに、ほとんどてずかず。
当然当初予算より、数倍の費用がかかります。
今何が、必要なのか、考えて欲しいです。

  • 回答者:たろうべい (質問から3時間後)
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このダムが計画されて50年も経過してきていると言っていたと思います。

その中では、反対派を説き伏せて、既に大部分の方は、新たな場所に家を建てられたり、墓なども移設されたのでしょう。

ここまで来て、中止はないよということだと思います。割り切れない思いが一杯ということでしょう。

  • 回答者:パソコン叔父さん (質問から3時間後)
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その考え方が一番分かりません。

「国が誠意を尽くして謝罪して慰謝料を払え!」というのならばわかるのですが・・・・

「地元住民」って一人じゃありませんからね。
昔から賛成派もいれば反対派もいます。

たまたま反対派がテレビに映っているだけで
地元住民がみんな反対していると思うようならテレビの見すぎですね。
一刻も早くご自宅のテレビを廃棄することをおすすめします。

  • 回答者:匿名ちゃん (質問から2時間後)
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中止して良かったと安堵している住民の声を聞きたいですね。

ニュースで流されたのは、環境保護関連の人が建設中止を望んでる姿でした。

補償金が魅力的だからですよ。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
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建設続行した場合の具体的なメリットを分かりやすく説明してください。

「よほど魅力的な補償金」
まあ、これに尽きます。
いろいろ言いますが、「ごね得」が日本の公共事業にはつき物です。
最初は反対し、ころあいを見計らって補償金や様々なものを要求し突きつけて、実行させる。
官僚側は自分の懐が痛むわけではないし、計画が遅延するのを避けるため、後は地元を選挙区に抱える政権党の代議士、勿論自民党しかいませんでしたが、を介在させて懐柔するわけです。勿論住民側も代議士に頼み、また工事業者も受注などで動きます。そこに利権が絡んでくる。
目先が利く人ほど、かなり前に見切りをつけ、早々と別の場所に移転したりしている。
国土交通省もダムが新たな観光資源として集客効果をもたらすなどと、地元を手玉に取る様な説明をしてきたこともあり、一概に地元を一方的に悪くはいえない。

ただ、ダム完成時の水没予定地は国家が買い上げている関係で、そこを離れなければならないし、現温泉地域は建物の立替などが出来ないため、生活再建も簡単にはいかない。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
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>ダム完成時の水没予定地は国家が買い上げている関係で、そこを離れなければならないし、現温泉地域は建物の立替などが出来ないため、生活再建も簡単にはいかない。

これはもとの所有者に戻せば良いだけの事ではないでしょうか?
水没していないのですから

ほとんどの人が移り住んだり新たな場所で生活をはじめてる人もいます。
そのために先祖代々の土地を手放したり、お墓も掘り起こして新たな場所に作った人も多くいます。
それに民主党は地元の声(または民意)を聞いてません。マニフェストに書いたから「中止」と言われても反対するのは当然です。
仮にやめたとしても、元通りになる事は無いと思います。
新たな土地で生活してる人もいるしそんな人が戻ってくるとは思えません。
それに今現在村の土地は国有地です。そのような問題の解決策を出さないで「無駄だから中止」と言うだけでは納得いかない人が大勢います。

反対してるのは、補償金が出てるからとかそんなレベルの話ではないと思います。


個人的にこの件は、当事者以外(地元住民と国など)の人がどうこう言う資格はないと思います。
所詮うわべだけの討論になるのは目に見えてますから。

  • 回答者:匿名希望 (質問から54分後)
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現実に今の状態で観光資源として生活している人もいますが、あまりそちらの意見が反映されていないのではと感じます。
戻って生活をせよと規制するわけでなく、新天地で生活できているならそれはそれでいい。
苦渋の選択で前の生活をあきらめたのだから、ダムで水没させなければ話が通らぬという考え方はナンセンスだと感じて本当の理由を知りたいのです。
吾妻渓谷は群馬県の誇りのはずです。
上毛カルタというのは、県民の誇りがこめられています。

もうダムが完成することを前提に生活設計が終わっているからだと思う。中止するのなら、民主党の責任で、元通りの自然に戻さなければならない。作り掛けの状態で放置しても、景観は戻らない。(多分、何千億円も掛かると思われるが・・・)

===補足===
もう水没予定地域から移住が完了して、生活に必要なインフラ整備(道路とか新たな観光資源)等の完成を待つ段階と言う事だと思う。言うまでも無く、ダム自体も観光資源になりうると思う。

後、ダムを造る事が、一概に、環境破壊とは思えない。八ッ場ダムが多目的ダムとして計画された訳で、水は水力発電にも使えると思う。水力発電も太陽光発電や風力発電同様、自然エネルギーの有効利用なのに、民主党は、CO2の排出を本当に削減したいと思っているのだろうか?疑問である。

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生活設計が終わっているというのは、保障をあてにして先の事を何も考えていないと言うことでしょうか?
元に戻すのは困難でも、これ以上破壊するのはカンベンして欲しいですね。

八ツ場ダム程度の規模で観光資源にはとてもならないでしょう。
ダムの発電は無公害ではありますが、都会で電力供給不足になる夏場は渇水の時期でダムは無力です。
都会で電力不足になる夏場の電力は太陽光発電の推進こそ有効です。民主党が推進しているのはそれが狙いのひとつなのではないでしょうか?
ダムを建設するのでなく、植林を推進して水害を防ぐほうが炭酸ガスの減少にもつながりメリットは大きいのでは。

そう考えるとダムの建設は賄賂と天下りと無駄遣いの温床にしかならないもののように思えます。

家を離れて移り住んだ人もおり、今の集落は当時とは様変わりしていると思います。また、新たな生活設計をしている人もほとんどなのに、中止といわれて今までのような暮らしは出来ないのだと思います。川原湯温泉にしても、これから新しく再生するには時間がかかり、景観も守られたとはいえ、今まで工事で破壊された部分が元に戻るまでは更に時間がかかるし、完全には戻らないのです。中止にしたら再生への道筋が必要ですが、それさえ国が提示できていないのだから、また何十年復帰再生への長い長い苦労が始まると思うと、もうここまで来たのだから最後までやってよ、というのが本音なのかもしれません。今まで時間をかけすぎたのだと思います。7割が完了しているというのは工事の進捗ではなく、総予算の7割との事。これから3割で出来るかというと、わたしはそうは思わないです。さらに莫大な費用を投じなければならないはずで、それを考えるとここで中止にしたほうが、補償費と比較するときっと安いのだと思います。

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吾妻渓谷は道が狭いのが難ですが良いところです。

川原湯温泉もこのまま残ると思うと私としてはありがたいですね。

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