その話は読売新聞の社説なんですね。
私たち国民は、新聞やニュースなどで誰かが報道するために誰かがまとめた記事でしか事実の内容を知ることしかできず、記事というのは書いた人の気持ちがどこにあるのかが反映されるものとして、私は斜に構えて捉えています。
私が八ッ場ダムについての情報を詳しく聞いたのは、昨日放送されていたニュース番組でした。
その番組内での報道では、
民主党をいたずらに批判するものではなく、もてはやす目的でもなく
中止のための理由を伝えるもので
ダム建設のメリットは、
・水源としての効果
・ダムによる収益効果
を例にとり、
水源としての効果は逆にむしろ減少、発電効果も現状とおなじ、ダムによる経済効果はマイナスになるということから、税金のムダ使いを蓄積させるので中止すべきということでした。
また、アナウンサーと評論家の報道後の感想を述べたほんの数秒でのコメントからは
「前原国交相は、今回の住民への説明でメモを一切見ない、メモなしでの説明でした。
これからの政治家には、メモを読むようなものではなくメモなしで説明をする=理解していての説明、つまり説明能力が必要とされてくるでしょう。きちんと把握した上で話せるというのは迫力と説得力がある。」とさらっと話していました。
ここには、なるほどと、問題の解決力は感じました。
しかし、このニュース番組でも、読売社説ででも、穴があります。
どちらも、その報道をするに当たっての母体の意向、どこを支持しているかとか
その場に関わる人たちの考え方が出てきます。
本当は報道というものは意見を反映することは許されず正確な事実のみを淡々と伝えるべきであり、感情を持つのは、それを聞いた国民です。
正確な事務的な報道だけを知り、そして聞いたものがそれぞれ判断していくというのがあるべき姿ではないかと思います。
行方を見守るしか判断することは難しいです。
ふと思うのは、自民党時代にダム建設前には、住民にも
散々反対派も賛成派もいて、もめにもめて建設に踏み切られた。
反対していた人も、出ていかざるを得なくなり去った人、残った人、事情はさまざまですね。
それを今更途中でやめるなどという反発は当然だと思います。
中止するからには、本当に前政権時にしてしまった大きなムダ使いがあり、取り壊し中止するほうが、維持費+建設に当たる工事費の追加なども含めて
今後のメリットとの比較でゆくゆくの採算をみてのムダが少ないのだと思います。
こういってしまえば少数派の村人の生活や気持ちを無視することになります。
最初に行われた「説明」で大臣が言った、やめるといったのでやめるんだ的な言い方がこういった気の毒な方たちへの配慮に欠ける乱暴なものだったとすごく感じました。
しかし、皆自分の位置や生活のことに不利になるのを避けたいというところからのいさかいであるには違いなく、
最後は恐らく「お金」となってくるんだろうとも思われ
その保障金額などがどこまで釣りあがるかという打算はあって当然であり
いたちごっこのようなものが潜んでいる問題でもあるとも思います。
長くなりましたが、こういうところから、私の「正論だと思いますか?」への回答は
「正論とは言い切れない、どちらかというと偏った意見反映で正しい報道ではないのかと思う。」
です。
===補足===
誤記入のせいで、正反対の意味のようになってしまい、大間違いを致しました!
書き直しですみません。
「正論とは言い切れない、どちらかというと偏った意見反映で正しい報道ではないのかと思う。」 というところは、
「正論とは言い切れない、どちらかというと偏った意見反映で正しい報道では無いと思う。」
でした。
誤字って怖いです。正反対の意味になることがあるんですね。
税金のムダでしかない役に立たないダムの建設は中止すべきだと思いますし、
ご質問に書かれた社説は正論だと思いません。