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Sooda!利用者の皆さん、こんばんは。

新型インフルエンザがジワジワと流行っております。
我が息子のクラスも、とうとう学級閉鎖とあいなりました・・・
自宅待機、とはいえ、何かしら宿題はさせようと思っています。

さて、皆さんが今までにやった宿題で、
凄い量だった、とか、凄い面白かった(変わっていた)、とか、
兎に角、思い出深い宿題はどんなものでしたか?

宿題を出された時の状況、気持ち、内容など詳しくお願いします。
そして、その宿題がきちんと出来たかどうかも書き添えてください。

短い回答はあまり好みではありません。
コメントにて補足をお願いする事もあります。
お返事頂けない時は「ちょっと残念ですが・・・」って事になる事もありますが、その点ご了承下さい。

因みに、私の思い出深い宿題は、
中学の頃の「惑星直列をスケッチしなさい」というもの。
3月だったと思います、早朝5時、極寒の中、
田圃の真ん中で空を見上げてスケッチしました。
明けの明星(金星)を必死に探した記憶があります。

では宜しくお願い致します。

  • 質問者:schro
  • 質問日時:2009-10-05 19:31:07
  • 3

回答してくれたみんなへのお礼

色んな宿題、そしてそれに対する意気込み、思い出、色々あるもんですね。
頑張ったけどダメだった、泣きながらやった、物凄く気合が入った・・・
年を取ったらなかなか出来ない事を、子供の頃は純粋な気持ちでやってました。
大人になってからも頑張り続けている方も居ました^^ その方々には脱帽です。

ベストは・・・
泣きながらもチクチクと手縫いバッグを作った涙さんへ。
出来上がりは・・・でしたけど、そんな思いでもなんのその、涙さんは家庭科の先生。
きっと、「先生だって最初から上手くできなかったのよ」って、
困っている子に一言添えてるんじゃないかな・・・なんて勝手な想像してみたり。

大人の視線からみると、子供達の宿題って、簡単で少なくて。
でもこうやって改めて考え直してみると、みんな真剣に取り組んでいるんですね。
親としてではなく、子供と同じ視線で居ることが大事だな、と思えました^^

回答頂いたみなさん、有難うございました。
また質問を立てたときは宜しくお願いします。

私は夏休みの宿題である

自由作品です。

何をすればいいのか分からず、

休み明け前日、泣きました。

母に教えてもらったのが、手縫いのバッグです。

泣きながら、ちくちく縫いました。

しかも大きさバラバラ、縫い目もおおきく、

ななめにジグザグ。


一番、よく覚えている想い出です。

その私が今や家庭科の先生になりました(笑

  • 回答者:涙 (質問から7日後)
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じ~~~んと来ますね・・・ 私も自由作品とか母にアドバイスを仰ぎました。
優しいようで厳しい母。となりで「こうするの」「ここに糸を掛けて・・・」とか。
直ぐに癇癪を起こして、悔し涙がいっぱいこぼれる私のそばで、
それでも辛抱強く教えてくれた母の姿を思い出しました・・・(涙)
縫い目がバラバラ、直線でないジグザグ縫いの手縫いのバッグ、
でも、涙さんのお母様からみたら、やはりわが子の秀作^^ 汗と涙の染みこんだ傑作です。

最後がいいな・・・ 家庭科の先生になってらっしゃるところ。
先生にもこんな時代があったのですね^^

並び替え:

4年生のときの一年間、
担任の先生の方針で毎日の宿題がスケッチでした。

題材は自由、自分の描きたいものを描きたいままに描きました。
今でもそのときのスケッチブックを持っていて、たまにページをめくることがあります。
ページをめくると、当時描いた絵の細やさや綿密さに驚かされます。
そのころはデフォルメなんて手法も知らず、
ただただ真っ直ぐな心根で、見えたものを、見えたように
細部にわったって率直に描いていました。
絵にはそのひとつひとつに、感慨深く添えられた先生のコメントが残っています。

あるときには、スケッチに添えて、その題材をもとに作詩の宿題が出されました。
そのひとつが先生の目に留まり、何気なく書いた自分の詩が
前の黒板に張り出されたことを今これを書きながら思い出しました。
当時、父親の影響で絵を描くのがとても好きだったわたしは
家に帰ると真っ先に、何かしら描く対象を見つけては時間も忘れて夢中で
描いていた光景を覚えています。
その反面、言葉表現に乏しい子供で詩となると、
ひとつのフレーズを描きあげるのにがなかなか浮かばない言葉に苦労したものでした。
そうやって描きあげた詩の内容は今もかすかに覚えています。

そんな毎日のスケッチや詩の宿題もさることながら
その先生との一年間は今思うと、とても印象深いものでした。
一風変った先生で、一見その主義・方針には厳しい一面がありましたが、
ひとりひとりにかける言葉はとても温かいものでした。
直感と感性を養おうとするものでした。

彼女を含めて小学生時代に出会った先生たちとはそれぞれに想い出深いものがあります。
一対一での体温のある濃密なコミュニケーションがありました。

今思うとちょっと涙の出てくる想い出もあります。

  • 回答者:なみだもあったけど (質問から7日後)
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凄くユニーク、そして単発ではなく、1年を通したプロジェクトの様な宿題。
こういう宿題を出すと、大概親から文句が出たりするもんですが、どうだったのでしょう?
それでも、その先生は、きっとやり続ける方だったでしょうね^^
子供の感性に任せる宿題は、漢字や計算などにくらべて、規定や決まりがなく、
子供の自主性に頼る部分が多いから、結果として大きな差がでるでしょう。
それをだし続ける先生の意気込みは、すごいな、と思います^^

一風変わった先生との出会いって、ずっとずっと記憶に残るものです。
私にもそんな先生が何人か居ます、体罰めいたものがあった先生も居ました。
でもそこに一本筋が通っていれば、不思議と子供も納得していた時代でした。
今も子供達が信じ続ける先生って・・・居ますよね、きっと。

思い出深い宿題

小学1年生の時、あまり宿題をしないので、先生に髪が数十本ぬけるほど髪の毛をひっぱられた

  • 回答者: 匿名 (質問から7日後)
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1年生の頃に出た宿題とか、まだ覚えていらっしゃいますか?

~補足~
髪の毛が抜けるほど引っ張る事が良い事とは絶対に思いません、勿論。
どんな宿題をし忘れてしまったんでしょう? 
そしてどうしてしなかったんでしょう?

高校が勉強を「させる」学校でした。
自主的に勉強しない私には合っていたのでよかったと思ってますが、
宿題の量が毎日すごかったです。
特に数学と英語です。
ひたすら問題を解くだけで何時間もかかりました。
いつも2時まで宿題して、すぐ寝て7時に起きてました。
でもおかげで受験勉強らしきものはしなくても大学に合格できました。

ただ、今思うとすごかったなと。
よくあんなことやってたなと思います。
今やれと言われたら無理です・・・

  • 回答者:匿名 (質問から6日後)
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私達が小さい頃って、今の子達がやってる宿題より、格段と量が多かった気がします。
わが子の持ち帰る宿題の少ない事といったら・・・。
中学・高校もやはり毎日毎日、やはり机に向かって頑張らねばならなかったです。
匿名さんの学校は、強制的に毎日復習を「させて」いたわけですよね・・・。
でも、復習って凄く大切、とやはり思います^^ 

私くらいの年になると、もう宿題が出ただけで眠気が来ますよ(苦笑)

夏休みの宿題で、
「味噌を作る」or「豆腐を作る」or「火おこしをする」
というのがありました。

火おこしは、全然火がでないし、
大豆やにがりは売ってないし、
(そもそもあまり売っていないのに、学年みんなで買いに行けば、そりゃなくなる)
レポートは散々でした。

ネットの普及がない時代なのに、各々頑張れ、とは、
なかなかハードルの高い宿題でした。

===補足===
いえ、先生が作ったプリントを参考に作れ、というもので。。。
核家族ばかりですからね。上の世代は、そうそういませんし。
うちの親は、実家が醤油屋だったそうなのに、味噌の作り方知りませんでしたから、
きっと他の家の親も知らなかったんじゃないかと思います。

味噌は、時間がかかるので、31日に始めるタイプの人には向きませんw。

  • 回答者:変な宿題出すなよ (質問から2日後)
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面白いっ! 火起こしはまだ何とかなりますけど、
味噌に豆腐・・・って、大人でもやる人凄く少ないのに^^;
今でこそ、自然派ブームで、色んな材料売ってますし、
ネットで調べれば作り方もわかる、ツールも揃えられる・・・。
それって、上の世代に聞いて、作り方を教えて貰いましょう、ってのがテーマだったんでしょうか?

因みに味噌は寝かさねば・・・ 直ぐに結果がでないのはつらい。
お疲れ様でした。

30代に入って、看護学校に行きました。
病院実習が始まると、初日に受け持ち患者さんがきまると、
次の日まで、その患者さんの
病気について、看護について、治療について、看護計画について
などいろいろ書いていかなくてはいけません。
なので、いつも徹夜でした。

子供がまだ小さくて、家のことを全部してからの宿題だったので
いつも本当に死ぬ思いでした。
どうして、学校になんか行ったんだ牢とか思いましたね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から24時間後)
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私の母も看護婦をしていました。だからあの仕事の厳しさは少しだけ知ってます。
私にも同じ仕事に就くように望んでいたようですが、20歳を過ぎたら諦めていました・・・

がっ、回答者さんは30代に学校へ! 凄いっ!
しかも育児をしながらなんて、これまた凄い!
私も仕事を持つ母ですが、宿題こなすのは・・・ はっきりいって必死です。
いやはや、もうお世辞抜きで拍手喝采です! お疲れ様でした。

歴史の宿題で、習っている個所を漫画もしくは絵本にしろ、という宿題が出ました。
漫研の人の作品がピックアップされて、脚光をあびていました。
私も夏休みほとんどをつかって漫画を仕上げたので、力作が出来たと自負しています(笑)
でも、絵が苦手の人からは大ブーイングで、未提出者も続出、むちゃぶり課題でした。

  • 回答者:夏の思い出 (質問から21時間後)
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その宿題、視点としてはなかなか面白いです。
文字だけ読むと覚えないけれど、絵にしてみるとすんなり・・・
あら、まるで『ベルサイユの薔薇』現象(苦笑)
ただ、絵は芸術で、得手不得手がはっきりしますからねぇ・・・そりゃ提出率も厳しいもんだったでしょう。
私なら、Gペンやら丸ペン使って頑張ったでしょうっ!(漫画、ちょっとかじってました)

夏休みをほとんど費やしての力作! お疲れ様でした^^

小学6年生のときだったと思いますが、歴史の宿題で、戦争についての体験談を
祖父母や近所のおじいちゃんおばあちゃんにどういう風だったか話を聞き、
ノートにまとめるという宿題がありました。
それまで戦争についてまったくと言うほど興味もなく、自分の祖母に戦争の話すら聴いたことがなかったんですが、宿題をきっかけに戦争について祖母と語り合い、思いを聞くことができました。
防空ごうの話や、空襲のこと、どこににげたのかとか色々聞きましたね。そして、ちょっと怖くなり、今の平和を実感しながら、ノートにまとめたのを覚えています。
話を聞かせてくれた祖母は今はいませんが、思いを受け継いで子供に語り継いでいかなければならないと思っています。今考えると貴重な宿題でした。

  • 回答者:匿名 (質問から5時間後)
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私自身も既に”戦争をしらない子供達”世代なんです。
父や母から色々聞いて、それを語り継ぐのが、ある意味使命というか・・・。
何も知らない、では、やはり済ませられないのが、この戦争の問題ですよね。
あの世代の頑張り・踏ん張りがあってこそ、私達がいるんだと思うと、
やはり感謝や労いの気持ちでいっぱいになります。

貴重な宿題、ほんとそう思います。

宿題で面白かったのはあまり覚えがありませんが。。。。

小学校2年生のときに雨量を測定する実験の宿題がありましたが、その月はほとんど雨が降らず次の月も測定することになりました。


しかーーーーし、次の月もほとんど雨が降らず、また延長になり・・・・



その年は雨がほとんどふらない年でした。。。。。。

宿題は提出することができませんでした。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3時間後)
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自然を相手の宿題は、なかなか思い通りに行かない事が多いですよね。
それにしても、宿題が課せられた年は、かなりの雨不足だったのでしょうか?
日照時間の宿題だったら、これまた記録的な数字になってたかもしれませんね。

自然には勝てません、宿題が出来なくても、こりゃ仕方ないですね。
雨を待ちくたびれて・・・お疲れ様でした^^

小学校6年生のとき、
宮沢賢治の雨にも負けず、風にも負けずの詩を暗記させられました。
みんなの前で一人ずつ、合格するまでやらされました。
私は2回目で合格しましたが、30回以上再試験になった方もいました。
30年前なので、先生が威張っていた時代でしたが、今はこんなことないようですね。

  • 回答者:匿名 (質問から3時間後)
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暗唱の宿題って良く出ましたね^^
私はその手の宿題、学生時代にもしましたよ・・・英詩の暗唱。
その頃、既に脳細胞に活発さを失いかけていたので(苦笑)、
結局3回くらい教授の部屋に通いましたかしら・・・^^;
昔は先生たちが威張っていた、でもそれだけ威厳もあったんです。
皆がみんな正しいわけではないけれど、それでも導く力がありました。
やはり”師”と仰ぐ事が出来る先生が多かったような気がします。

暗記の宿題、お疲れ様でした♪

小学生の頃、「仕事」についての授業があり、働いている人にインタビューし、レポートをまとめ発表するという雑な宿題を出された事があります。
数人の友達とグループを作り、この雑な題について3日程の期間で完成させるのです。

近所の自動車整備工場に行き、応接間に入れてもらい、お菓子を出され手が空くまで待っていたのですが、仕事が忙しかったようで何時間も待たされ門限の時間が来、結局お菓子を頂いただけで何も質問できず帰りました。

仕方無く、私の家が呉服屋なので親に色々と聞き、完成させました。

しかし、発表のその日、自分たちの発表が終わり他のクラスメートが発表している時に茶化して担任に怒られ、もう一度調べ直せと言われました。

今度は染屋さんに行って調べ、後日発表しようと担任にレポートを出すとなんでまた調べてきたんだと言われ、逆ギレ気味にもう一度調べろと言ったじゃないかと問うと冗談だったと言われ散々な宿題の思い出として残っています。

  • 回答者:まさ (質問から2時間後)
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あらら、これはちょっと冗談がきついというか、嫌なタイプの先生ですね。
私もこんな感じのちょっといやらしい女性教師の授業を受けたことがあります。
余りに陰湿だったので、クラスメートと授業をボイコットしてしまったことが・・・^^;
反省文の罰が与えられましたが、それでも無視しました。

生徒(児童)としてはやはり必死になるんですよね、そういう時代でもあったでしょう。
一生懸命さが通じないとなると、やはり生徒としては辛い。
先生も茶化したつもりかもしれないけれど、ちょっとこれはね・・・後味が悪いですね。

でも宿題、頑張ったんですね^^ お疲れ様でした♪

月の位置をのーとに書いて記録をとるのが面白かったです。

  • 回答者:あ (質問から2時間後)
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その宿題はいつ出されたもので、どんな風に月の位置を観察して描いたのか、
もう少し詳しくお願いできますか? 短い回答は好みませんので。

~補足~
月の位置をノートに描く、色んな工夫や、色づけや、
どんな風に楽しくて、どんな気持ちだったのか等など知りたかったです。
物事一つ一つにエピソードがあると思うので・・・

与えられた宿題には特に思い出はないですが、
小学4年ごろの夏休みの自由研究が思い出深いです。

アリが巣から列をなして出入りしているのをみて、その方向が時間でどう変わるか興味がわいて観察しました。
(たぶん蜂が太陽の方向で蜜のありかをさがすとかなんとかいう話からの発想)

30分ごと24時間、5分間方向と数を記録しました。
夜中は目覚時計に打勝って起きられず、データが飛んだ時間帯があります。

結論は「時間とはなんの関係もない」でした。
先生の評価に思い出がないので特にほめてもらったわけではないですね。

  • 回答者:dynoz (質問から46分後)
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虫の観察の大変さは、従姉妹の父親を見て痛感しました(苦笑)
従姉妹の場合、蝉でしたけど、ひとえに父親の協力あってこそ!
(あ~、こんな事暴露してしまったわ・・・従姉妹、ごめんね)
人間の生活のリズムとは全く関係無しに、虫は活動を続けてくれますよね。
だから知らない事が沢山あるんでしょうね^^

蟻の巣の観察はしてみたかったです。
ケース越しに彼等の生活、どんな感じか見てみたかったです。
宿題、お疲れ様でした♪

星ですか、凄い良い経験ですね!
私、宿題の思い出は 変わっていまして
やって行かない人でして、良く怒られ
頭をスポーツ刈りにされ・・
それでもしてこないので、五分刈りに、
そして5厘刈にまで 担任にされました
今なら人権問題ですね!親もお前が悪いからだとWで怒られた
記憶があります。

  • 回答者:今わむかし (質問から30分後)
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宿題をしなかった時のエピソード、有難うございます。
私も実は・・・って丸刈りじゃないですけどね、高校時代、絵の宿題を放棄した事があります。
その罰として自画像を描け!と言われて、とうとう1-3年、3年間の自画像を教室に飾る羽目に・・・^^;

昔は色々と罰があって、こっちも本気で構えてないと大変でした。
今でこそ色々といわれますけど、あれはあれで真剣でいられた気がします。

もう、髪の毛は生えてますね・・・幾らなんでも^^;

私は看護師で、看護学生時代の解剖学で、

人の骨のスケッチをするという課題がありました。

それは先生が別の大学から本当の人の骨を借りてきたもので、勿論頭蓋骨もありました。

また、人の細胞組織も同時にスケッチする課題があり、顕微鏡とにらめっこしながらスケッチしました。

授業の時間内でもスケッチの時間はありましたが、当然ながら終わることもなく、放課後残って骨や細胞とにらめっこしてスケッチした記憶があります。

  • 回答者:匿名希望 (質問から10分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
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そこまで専門的かつ詳細なものではありませんでしたが、
生物の時間、色んなスケッチをやった記憶があります。
絵を描く事は好きな方なので、結構すすんでやってはいたものの、
それが全身とかもっと細かいものになると、やはりくじけそうになりますね。
でも、そうやって体で覚えていくんでしょうね^^

宿題、お疲れ様でした♪

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