すべてのカテゴリ » 知識・教養・学問 » 知識・学問 » 歴史・地理

質問

終了

真珠湾攻撃は日本の奇襲ですか?

【もし奇襲でないとしたら】
・米国に対する宣戦布告は何月何日にどのようにされたのですか?
・それがなぜ奇襲となってしまったのですか?

===補足===
回答ありがとうございます。
再度疑問に思ったのですが、
開戦後アメリカのワシントンなどに居た日本大使館員達はどうやって帰国したのですか?
日本に居たアメリカ大使館員達はどうやって帰国したのですか?
出来たらご回答お願いします。

  • 質問者:ぬらりひょん
  • 質問日時:2009-07-10 11:30:36
  • 0

「奇襲」であったかどうかは今も意見が分かれています。
日本側からすれば奇襲をかけたつもりだったが、実は米国は知っていたらしいと
する研究家もいます。
「奇襲」も戦略の1つですからルールの範疇で行われたものなら問題はありません。

真珠湾攻撃が問題とされるのは日本が「開戦に関する条約」に反している、
つまり国際法違反をしているからです。
この条約に定義している宣戦布告はされていません。
日本が米国に送りつけたのは外交交渉打切の通告で、米国との戦いを宣言する
というものではありませんでした。
「開戦に関する条約」には「開戦宣言の形式又は開戦宣言を含む最後通牒の形式
を有する」となっていますが、日本が真珠湾攻撃の前に米国に送りつけようとしたも
のは、その形になってなかったんですね。
ですから対米交渉の打ち切り通告を攻撃の前に出そうと後に出そうと国際法違反の
責めを回避することは出来ません。

よく誤解されるのですが、「開戦の詔勅」は米国その他の国には送られてはいません。
「開戦の詔勅」は日本国民向けのもので昭和16年12月8日に出されました。

ウィキの真珠湾攻撃の項を読めば官僚の不手際により通告が遅れたそうですが
真珠湾攻撃より前に英国領マレーのコタバルに日本は攻撃をしかけています。
英国には終戦まで宣戦布告はもとより外交打ち切りの通告もされていませんから、
果たして本当に官僚の不手際だったかどうかは疑わしいです。
上記にもあるように不手際でなくても条約違反には変わりないのですから、英文タイ
プを任された日本大使館の職員が処分されなかったのも納得です。

前に日本の潜水艦が撃沈されましたが、米国は日本の潜水艦と認識して攻撃
した訳ではなく、攻撃命令を出した米国武官は国籍不明の潜水艦を撃沈したと
上司に報告しています。この潜水艦が日本のものだと判明したのは2002年に
なってからだと聞いています。
真珠湾からわずか4.8キロ沖で見つかった潜水艦にあった砲弾の貫通孔と、真珠湾
攻撃前に撃沈したという報告書が一致したことで、この船が当事撃沈されたもので
あると特定されたのです。
当事の領海水域は3海里、1海里が約1.8キロですから4.8キロは領海内となります。

この潜水艦は撃沈前に米国領海内において潜航したまま航行していました。
潜水艦は領海内では浮上して航行するのが国際ルールとなっていて、潜水行為は
敵対行為とみなされます。国際法無視の敵対行為中の不審船を撃沈しても
正当な防衛行為となります。
(正当な防衛行為だから国際問題にはならないという意味ではなく、あくまで法に
照らして正当か否かの話)

===補足===
=訂正=
前に日本の潜水艦が撃沈されましたが
→真珠湾攻撃前に日本の潜水艦が撃沈されましたが に訂正いたします。

=補足=
開戦の後、両国の外交官たちは在留者相互交換で本国に強制送還となっています。
日本の外務省は開戦直後から中立国を通じ米・英と交渉し、1942年(昭和17年)5月、
「外交官等の交換に関する協定」を結びました。
日米交換船による交換は計2回行われ、第1次(1942年6月から8月)と第2次(1943年
9月から11月)となっています。
交換地はロレンソ・マルケス(当時ポルトガル領、現在のモザンビーク・マプート)だった
そうです。
外務省サイトのQ&Aにありました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/senzen_04.html

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

並び替え:

日本側から、真珠湾攻撃は日本の奇襲です。
ただ、アメリカからいえば、日本の中には、スパイがいて、
日本の機密情報は、ほとんど漏れていたと思われます。
結果的には、アメリカにとって、日本と戦争する
正当な理由ができ、しいては、第二次世界大戦までなりました。
結果的には、奇襲したものの、うまくはめられた感じします。

===補足===
すいません。補足の件についてき、疑問に思っていますが。
正直のところ、はっきりとした見解は、わからないのです。
考えられるとしたら、両国とも、職員には罪はない。
交換みたいな感じで、それぞれ帰国したのりではないかと。
あくまでも、私的意見です。

  • 回答者:たろうべい (質問から11時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

宣戦布告後に真珠湾を攻撃するつもりだったと思うが、宣戦布告前に真珠湾に攻撃部隊を向かわせていたのだから、奇襲を目的としていた事は明らか。したがって、真珠湾攻撃は、紛れもない奇襲である。

しかしながら、奇襲は、戦術として理にかなった方法で、卑怯な行為ではない。可能なら、全ての軍事作戦は奇襲で行きたいぐらいでもある。間違ってしまったのは、宣戦布告がアメリカ政府に伝わる前に、奇襲をしてしまった事に有る。場合によっては、宣戦布告をしてから、まだ交渉の余地は残っていたのではないだろうか?

===補足===
>開戦後アメリカのワシントンなどに居た日本大使館員達はどうやって帰国したのですか?
>日本に居たアメリカ大使館員達はどうやって帰国したのですか?

お互い交換船で帰国。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

映画

【山本五十六】

をご覧になれば?

日米双方から描かれている事になっています。

この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

結論から言えば、
日本側にも確かに問題はあったもののアメリカの「騙し討ち」です。
12月7日午後0時10分(現地時間)、アメリカ海軍司令部に一つの暗号電報が入電しました。
理由は、「ワレ、日本潜水艦ヲ撃沈セリ。」それは米軍艦が、公海上 ── アメリカの領海外において、日本海軍の潜水艦を攻撃、撃沈した事を報告する暗号電報だったのです。(米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類75(1945年6月7日),みすず書房『現代史資料 35巻』)
つまり、アメリカは、日本による「真珠湾攻撃」の1時間20分も前に、「宣戦布告」もなしに、日本の潜水艦を攻撃、撃沈した事になる訳で、これこそ、正に「騙し討ち」と言えるのです。

真珠湾については、日本にも問題がありました。それは、
開戦当日、ワシントンの日本大使館が致命的な「大失態」を犯したからなのです。日本政府が考えた宣戦布告時間がこの大使館員の失態で遅れてしまったという事です。
このものたちは責任を取らなければなりません。
つまり、昭和天皇・日本政府・大本営・連合艦隊司令長官(山本五十六)共に、アメリカに対して「騙し討ち」をしよう等とは、露とも思ってはいなかったのです。本来、「国交断絶通告」は、12月7日午後1時(現地時間)に届けられる筈でした。日本から無電で送られた暗号電報を解読し、成文化した上で、アメリカ側に届ける。この重要な任務を、ワシントンの大使館員達は、赴任する同僚の送別会を優先した結果、処理に遅れを来たし、攻撃よりも後に届ける羽目となったのです。致命的です。この部分では、アメリカから「騙し討ち」と言われても仕方がありません。
ただし、実際はUSAが仕掛けてきた事なのです。
この当時の日本国民のおかげをもって我々が生存できていることを忘れてはなりません。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
  • 4
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

奇襲攻撃です。

宣戦布告はハワイ時間1941年12月7日(日)午前8時50分に野村吉三郎駐アメリカ大使と来栖三郎特命全権大使が、コーデル・ハル国務長官に日米交渉打ち切りの最後通牒を手交した時ですが、7時49分に第一波空中攻撃隊が真珠湾上空に到達しのですから、奇襲攻撃です。

宣戦布告は、攻撃開始の30分前にアメリカ政府へ手交する予定であったが、日本大使館の事官、一等書記官が翻訳およびタイピングの準備に手間取り、アメリカ政府に手渡したのが攻撃開始の約1時間後となってしまった、と言うことですがなんかいい加減な人達ですね。

  • 回答者:いい加減さは今の官僚と一緒です (質問から39分後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る