確かに犯罪者の親は、あまりにも哀れで、見ていると胸が痛みます。
あんな姿を人前にさらして、いったいなんのメリットがあるというのだと言いたいです。
情緒的に なんのメリットもないことだし
犯罪そのものをどうこうするに、意味のないことです。
もしも、自分の子どもが事故死か犯罪者になるかどちらが悲しいかと聞かれたら
どちらも。と答えるでしょう。
死んでしまったのと同じだけの悲しみ苦しみが襲い掛かると思います。
だけど、申し訳ないという気持ちの高まりと一緒に襲う辛さは
どう自分で取り扱えばいいのでしょうか・・?
人様の不幸を作った わが子のことを詫びる気持ちは
親として、
記者会見をしなくてもあるとおもうんですよね。
犯行に及ぶまでの人間形成、
これは産み育てた親にだけの責任ではないでしょう。
それを、自分のせいで子の子はこういう大人になったと決めることは、むしろ、
逆に、「すばらしい人間」に成長した我が子のことを自分のおかげで子の子はいい人間になったと云う顔をしているバカ親と同じです。
人とうのは いくらシツケをもって育てても
成人していく中で色んな経験を積んでいきますよね。
その過程で 出会う全ての経験や環境、人間の全部が1個人の人格に影響するのだから
良くも悪くも成長した人、その人格に盛り込まれているからこそ
「イマ」がある。
親のおかげ、親のせい、「だけ」でなんてのはむしろ「おごり」だと私は思います。人、1人を自分だけが作り上げたなんて そんな ご大層な人物見たことない。
最近、世の中ギスギスしてきたように思います。
みんな疲れている。
余裕や 当たり前の優しさを忘れて、自分の嫌な立場を恨み、
もっと不幸な人を嘲ったり、弱い人をいじめたり
人を妬み、陥れたり、何も見たくなくなるときあります。
みんなじゃないよね。
いま、ここで回答された人は少なくとも 相談者さんの感じたことに時間を使い、そのことを考えてますもの。
需要があるから供給があるわけで、可哀想な人をいたぶるような風潮と共に
ああいう変な報道がなくなることを祈ります。