山陰本線の餘部橋梁(一般的には余部鉄橋と呼ばれている)で、明治も末でいまから約100年近く前の技術で建設された貴重な遺産です。
私はもう半世紀も前ですが高校で土木を勉強していました。そのときの鉄道や橋梁工学で習った記憶があります。アメリカの技師ウォルフェルの設計で重要な部分の材料はアメリカで作られて船で運んだそうです。
名前ですが同じ兵庫県の姫新(きしん)線に余部(よべ)駅が既にあったので、駅名・橋梁名とも餘部にしたそうです。
情報では三つの橋脚を残すと聞きました。整備して歩いてわたれるようになるといいですね。