学歴社会を否定はしませんが、その過程が間違っていたような気がします。
戦後高度経済成長を経て、経済的に豊かになった家計は少子化(昔のように7~9人も子供はいない)もあいまって、自分の生き様を子供にだけはさせたくない・・と、高学歴志向が高まったように思います。
高学歴化はそれはそれで結構だと思いますが、教育課程で受験の弊害と申しましょうか、ただ受験のための学習つまり『詰め込み教育』が全て元凶だと思うのです。
受験はその大半が『記憶』の勝負だと思います。基本は出来ても応用が一切ダメ・・まさにその通りでしょうね。なぜなら記憶が勝負の学習に明け暮れてきた日本の教育は『考えること』つまり『知恵』を出す教育をしてこなかったからです。
それと、学歴偏重と言うより学校歴偏重と言う事象が益々世の中(社会)を変革していったのでしょうね。
学校歴・・・つまり、企業或は官公庁と有名大学には太いパイプが施設されていようです。就職した先人たちが後輩を誘致して、益々学校歴の会社或は社会が完成します。
学歴は高いに越したことはありませんが、問題は中身だと思います。いかに『考える力を養ってきたか、知恵を出せるか』がこれからの社会を生き残るための重要な指針となると思います。
===補足===
パイプが施設されていようです・・パイプが施設されているようです。訂正します。