ルキノ・ヴィスコンティ監督の「白夜」です。恐ろしい映画です。ビデオなどまだなかった時代に並んで名画座でみました。ルキノの作品は「山猫」など意味のわからない作品の中唯一意味がわかる貴重な作品。そのころ31歳まで一人も彼女のできなかった私、28歳の時に東京で米国人女性に食事に誘われて、こっちは僕のガールフレンドになってくれればな、と思っていて、彼女に真っ赤な薔薇の花束を送ったら、We will only be a friendといわれ、やっぱり僕はひとりなんだとなったあとみたら涙が止まらなかったです。いまこの作品が無造作にレンタル・ビデオ屋においてある。学生時代あんなになに苦労して並んでやっと映画館に入れてみた作品が。主演はマルチェロ・マストロヤンニ。マストロヤンニといえば「人生には、どうしても渡らなければならない危険な橋がある」バルカンのTVCMを子供の頃みて、すごいなと感じた。ルキノの作品はすべて敗北の序曲。この作品は愛の敗北。マルチェロ・マストロヤンニ扮する一人ぼっちの孤独な男。雪の中孤独。だれも友達のいない気の弱い男で。ガールフレンドなんか絶対にいない。自分ひとりっきりのアパートへ帰るところ。寂しい、寂しい、寂しい。俺はなんで一人なんだろう、俺はなんで孤独なんだろう。会社の帰り夜道を歩いてアパートに帰る道に犬が来た。ちょこちょこと自分のところによってきた。この犬だけは唯一俺を愛しているな。「おいでおいで」としたら犬の飼い主があらわれ、俺の犬に何をするんだというそんな顔をした。犬さえ俺の友達になってくれない。そこへ橋の上で身投げしそうな女(マリア・シェル)が現れる。その孤独な男とうとう彼女ができた。喜んで喜んで喜んで、ふたりで雪の中を歩くシーン、雪がパアーと舞って、まるで薔薇の花びらを散らしたよう。この映像がルキノの真骨頂。しかし、その女には、じっと帰りを待っていた彼氏がいた。ラストシーン女が、帰ってきた男に走り寄りハグする。マストロヤンニはやっぱり俺は一人なんだ。怖い怖い愛の敗北です。
それとチャップリンの「街の灯」のラストシーン。見事でしたね。貧しい貧しいチャップリンが、ヴァージニア・チェリル扮する盲目の花売り娘に恋心を抱く。なけなしのお金でCは花を1本買う、ところがそのとき自動車が金持ち男を乗せてガタンと車のドアをしめる大きな音をきいて女はCがこの金持ちとまちがえる。娘はCの手をさわっていいとこのお金持ちの紳士だと思っている。Cはその娘の目がみえるようにしてあげたくて最後には懸賞付きのボクシングの試合にまででて、金をかせいで、娘に目が見えるよう手術代をだしてあげる。娘が目が見えるようになったころ、Cはある濡れ衣をきせられて牢屋にはいる。刑期をおえて、Cが再び娘にあうとき、娘は小さいけれど、花やをやっている。そこへルンペン姿のCがあらわれる。Cは「あの娘さん目みえるようになったのかな」とじっと娘をみている。娘は大金持ちの紳士が手術代を出してくれたと勘違いしている。何にもしらない娘はCに「あのルンペン、花すきなんや。じっと見ている。かわいそうね。花少しあげようか。そういってCの手を触った、「あなただたのね」と娘は落胆する。見事でしたね。目がみえるようになったら自分は捨てられる。それでもいい。見返りを求めない愛の姿がそこにある。