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今昔の教育の違いについて

一昔の家庭内での教育では、みんなと一緒であることより、みんなと違うところ(個性)があることを前提にみんなと協調することを教えてきたいたと思うのですが、今日では、みんな一緒であることが重要であるようになってきていると思うのですが気のせいでしょうか?

現在問題になっているいじめ等も絡んでくると思います。
互いに違いを認め・尊重しあえばいじめは生じませんが、同一であることを望めば、外れたものはいじめの対象になります。

いじめに際して、昔の親は今日の多数の親と異なり、常に相手側が悪いと決め付けず自分の子が改善すべきことは改善するように言い聞かせ、そうでない場合は子供を支えながら子供と共にいじめがなくなるように回りに協力依頼をしてきたと思うのですが。最近は、被害者意識が前面に出て、周りに苦情を言うだけの方が増大してきているように思えます。

一昔まではまだあちらこちらで親子3世代の家族もあり、親の子に対する教育をその親である祖父母が見ていましたが、核家族化の進行と共にそのような家庭は少なくなりつつあり、十分な子供の家庭内での教育が出来ず、歪んだ教育で育っていく子供たちが増えていくような気がします。

まず、ここではみんな一緒という平等教育についてのご意見をいただきたいと思います。働かざるもの食うべからずの教育を受けたものとしては、この思想は国を滅亡させる問題ある思想だと思います。

尚、原則返信はしません。(論争になる可能性が高いため)
また、期間途中での締め切りは予定していませんので、回答の加筆・修正は適宜行ってください。相談の性質上、優劣は付けがたいので評価は特に行いません。

                 日本国の将来を憂うがただ傍観する者より

  • 質問者:憂国の傍観者
  • 質問日時:2008-08-02 22:46:47
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私は戦後の教育を受けた者として意見を述べますね。戦後一貫して「みんな一緒」という思想は無かったと思いますね。個性を生かさず殺さずと言うあやふやな思想が通ってきたと思いますね。そしていまや個性化の時代ということで教育が成されているのです。この教育は逆戻りすることは無いと思います。国連で「子どもの人権」が通り、我が国も賛同したのです。少子化に伴い子どもの人権が叫ばれてほぼ10年を経過するかと思いますよ。ただ「みんな一緒」の方向に進むべき時ではないかとのご提案には無理が有るかと思われます。「みんな一緒」のイメ-ジとして戦中・戦前の国家が想起されてしまい、そこに戻されることの危険を感じ採ってしまいますかね。戦後の教育を受けた国民が大半を占めている今の時代ですのでね。

  • 回答者:長倉の駒 (質問から2日後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご回答有難うございます。
ご意見に反論する気はありませんが、「みんな一緒」の意味を私が意図した意味と異なるように受け止められているようなので補足します。
ここでの「みんな一緒」とは思想統一を意味するものではなく、”仲間はずれを作らない”、”出来る子も出来ない子もみんな一緒・平等”という意味です。
戦中・戦前の国家にはあまり”みんな一緒・平等”のイメージは湧かないのですが。
また、ここで取上げている教育は家庭内の教育で国としての教育方針では有りません。

民を統べる側からすれば「みんな一緒である」は都合が良いのでしょうね。
大きくは国政を掌るもの、小さくは教師とか。

でも「みんな一緒」じゃ、つまらない社会だろうなぁ・・・と思います。

  • 回答者:やだやだ (質問から2日後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

何でも平等意識は「無理」が生じてきますよね。

「頑張れない人もいる」というのは病などの面からの見解で明らかな事実であり 本人にしかわからない苦しみは、たとえ誰が見ても、それは勝手な思い違いからで誰でもあるような苦労だよといわれようが
人の辛さの感じ方には違いがあり負担も差がでてくるので
本人にとって、精神が崩壊することになる可能性は尊重すべきです。

しかし、頑張れない人を 頑張る人と同じ位置に平等だと言って置くのは無理だと、そういう「無理」が現実的にあると思うんですね。

(文章が変で見苦しくてすみません。)

あなたがおっしゃるように、こういう問題はイジメにも関連すると思います。
家庭で、個性は尊重しあい、その上において、での、協調性をもって生きるべく教えることが肝要ですね。

何も、イジメられる方が何か悪い点があるからイジメが発生するというのではなく、
家庭教育において自然に日々浸透しながら成長してきたそういう考え方が
イジメ問題やら人間関係での適応能力を養うことに繋がると思われます。
ひいては それがイジメに同調する卑怯な「スネオくん」を作ることもなくなる根本ではないかとも思います。

コレ!”というひとつのことじゃないんですよね?
イジメっ子をいかに叱り、直させるかというところにだけ躍起になると
根本が解決していないからトカゲの尻尾を切るだけに終わり
本当にはなくならないもんです。
それには、イジメられた子の親も先生も
なぜそういう「事件」が起きるのか?ということを
世間の評判では「かわいそうな子」だけをかばうほうが格好がつき、批判されないのはわかるが
それに固執せず勇気と努力を持ち、両者の考えを聞いて根本解決に進んでほしいもんです。

イジメられて帰ってきたときの親の対処も
ただ、可哀想だとか怒るだけでなく
子どものどこにそういう辛い立場へ追いやられた原因があるか、
どこをどうすれば イジメから抜け出せるかを具体的に子どもと一緒に考えていくべきですね。
恨み言いって泣いていても 子どもは救えないですから。

また、そのときに親の意見を聞き入れることができるような子に育ててきているかどうか、
その辺りに こういった問題を解くカギがあるように思えてしょうがないです。

子育てにはそれぞれ親の思いがあり、それこそ皆同じやり方なんて気持ち悪いし変で、間違いなんてないと思うのです。
しかし、現実に起きている辛いことから我が子を救うには柔軟な頭を持ち
その都度 軌道修正していくことも有効かと思うのです。

  • 回答者:流浪人 (質問から16時間後)
  • 2
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参考になりました。回答ありがとうございました。

子供平等教育はそこここで聞きます。
幼稚園のお遊戯会の主役のお姫様が10人だったり、小学校の運動会は1等賞を決めないため組体操大会だったりと・・。
でもそこで順番がつかなくとも、社会へ出てからイヤでも優劣つけられるという事を考えてないんですよね。
「ビリだっていいじゃないか、一生懸命やったんだから」とひとこと言ってあげれば済むことを、何もわかってないようで・・。

  • 回答者:議論は無駄 (質問から14時間後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

日本はかなり以前から欧米において「もっとも成功した社会主義国」というある意味嫌味な評価を受けています。

この妙な平等主義は、今に始まったことではないでしょう。
モンスターペアレントもこの妙な平等教育の成れの果てだし、給食費を払わないけれど子供に罪はないから食べさせるべきという考えも、妙な平等教育の成れの果てだと考えます。

ただ救いなのは、数少ない私立校においては妙な平等教育は行われていないということでしょうか。
公立学校の教育思想も環境も危ない領域に入っていると思いますよ。

  • 回答者:リンド (質問から2時間後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

平等平等と唱えているうちにはきちがえてしまったんでしょうね。
同じ、ということに重きを置き過ぎて。同じなのは権利だけでよかったのに・・・

  • 回答者:たんたん (質問から54分後)
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参考になりました。回答ありがとうございました。

所謂「横並び主義」は日本に今だ根強く残存する日本の悪しき「伝統」であり、何も今に始まったことではありません
それは「オール70点主義」に深く連関しており、「金太郎飴」のような人物を大量生産するメカニズムであり、まだ学校時代ならよくても社会人になったり、このボーダレスの時代ですから一歩国境を超えた途端、この横並び主義は弊害以外の何物でもなくなります
事実、欧州や北アメリカなど多くの先進国では自分の考えや主体性、個性を持たない人は評価されず、最悪気味悪がられることになります
日本も徐々にそういう時代になるでしょうし、すでにそうなっているのではないでしょうか
もはや「出る杭は打たれる」のは過去の時代のことです
自信を持って個性を前面に出せばいいのではないでしょうか

  • 回答者:● (質問から14分後)
  • 0
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参考になりました。回答ありがとうございました。

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