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質問

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いったいなんて・・・・・? ・・・・・どう・・・・・、

説明したらよいのでしょうか。


身のまわりには世界を彩る光があって、

この世界のものはすべて色があること・・・・・?

わたしたちには肌の色とか、髪の色、瞳の色とか、唇の色・・・とあること、

あらゆる色はそれぞれにすこし違っていて、

一緒に合わさって、

もしくは

それぞれに美しいこと・・・・・?


”いろ”を見たことの、見ることのないあの子に。

  • 質問者:ゆめの色彩
  • 質問日時:2010-06-10 19:11:29
  • 0

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【赤】は、情熱的で短気な人。
【黄】は、気の小さいおしゃべり屋。
【青】は、自信満々なくせにどこか抜けている唐変木。

 三色を人に喩えてこんな感じだったとして、
赤と黄を混ぜてできる【オレンジ】は、短気と気づかいが衝突した奇跡なのか「温かくて親切」なる性質を持って生まれ、
青と黄を混ぜてできる【緑】は、自信満々さと自信の無さとが、お互いの反対の質を知ることで「思慮深さ」の人になった・・・


というふうに、色を人に喩えて説明しようと思います。
色を知ることは、ちょうど人に出会う感覚に似ている気がするのです。

 私達は、その人を「その人」と認識するように、その色を「その色」と認識します。
つまり、色を理解する(色の名や意味や性質について知る)前に、目で先に色を覚えるから、
「赤って何?」の問いに対する最初の答えとは、「この色だ」と赤色を指し示すことです。
人の認識についても、ある種同様のものを感じます。
肉親、友人、知り合い、隣の人…などと分解できるものではありますが、その人は「その人」でしかありません。

 また、その人と似た人を何処かで見つけるように、その色と似た色が世界にたくさん存在する点も同じです。
ひとえに「赤」と言っても、いろんな赤があります。同じく、いろんな緑があり黄があります。
そういった色の細かな違いに関しては、性格付けやら服装の違いやらで変化をつけ、バリエーションを無限に増やすことが可能です。

「真紅」は、口紅を差し大きな花飾りを髪につけたフラメンコのバイラオーラ。
「蘇芳」は、胸奥に情熱を秘めた和服の婦人。

「深緑」は、森の奥の石に座ってずっと物思いに耽っている人。
「エメラルド」は、"ティンカーベル"のような可愛い妖精。

「パステルイエロー」は、公園で光がさんざめくように笑う子供。
「山吹」は、おきゃんな女の子。
「黄金(こがね)」は、収穫間近の稲穂を見回ったのち空を仰ぐ麦わら帽の老人。


 カラーグラデーションの美しさについては、
だんだん色が淡くなっていく変化を、「子供→大人→老い」で説明したり(同色系の場合)、
サーモグラフィーの「温度→色」の考え方を逆転し、「赤→温度が高い」「青→温度が低い」としたりします。
赤面するときに感じる自分の顔の温度変化を、濃淡(グラデーション)になぞらえてもいいかもしれません。


 コーディネートについては、
組み合わせの美しい色の各色それぞれの性質からアプローチします。
たいていの色とコーディネートできる無難な色である「黒」ですが、
何故なら「黒」は、我が強くて頑なで誰にも勝ちを譲りたくない人。自分が一番大事。他を活かしているわけじゃない。関心が無いだけ。「赤」と隣り合っても、「黄」と隣り合っても、自分は自分。

空の色合いとして美しい「白」と「青」の場合。
「白」は、何事にも従順で、すぐ言いなりになるし、どんな人に対しても優しい。
自己をおおいに主張したい「青」にとっては、最高にハイになれる組み合わせ。


 それから、絵の具を混ぜるときは、気をつけないといけないことがあり、
たとえば、色と色の相性には、格別に注意しなければいけない。
情熱的な「赤」と思慮深い「緑」は、基本的にウマが合わない。(混ぜる比を間違えると、どすぐろい色になってしまう。)
すべてをのみこむ危険人物「黒」は、その分量に注意すること。さもないと、彼にすべてを乗っ取られる。
全ての色と仲良くやれるのは、可愛そうな「白」ぐらい・・・・

-----

これら生活の中での色との関わり(「身のまわりには世界を彩る光があってこの世界のものはすべて色があること」「あらゆる色はそれぞれにすこし違っていて、一緒に合わさって、もしくはそれぞれに美しいこと」)を、
色の擬人化によって、全てうまく説明するのは無理なことでしょうけども、
色を識る者としらない者同士にとって、わずかながらも意識の共有になるかもしれません。
色覚以外で色を共有できたなら…。

人に喩えるほか、色がモチーフになっている作品に触れながらの説明もするでしょう。
音楽を聴かせたり、詩を詠んだり・・・、
≪白鳥の湖≫における白鳥と黒鳥の踊りで、白と黒のイメージを伝えたりします。

色というのは、色が見える人にとって、「生まれたときから起こっている現象」であり、見えない人にとっては、「ずっと起こっていない現象」です。
もし見えなかった目に、ある日突然「それ」が起こり、"いろ"が見えるようになったとしたら…、
夢と現実が反転するような感じか、今まで在った"世界"がぱらりとめくれ、"新しい世界"がその人の目の前に現れるような感じだろうか、と考えますが
想像の域を出ません。

"あの子"が、部分的な色だけでなく、この世のすべての色を見分けできない人ならば
彼(彼女)にとっての「白」と「黒」の意味とは、見える人にとってのそれとは、大分違うことと思います。
だからまずは、私と"あの子"が唯一、共有できる"いろ"である「黒」と「白」のことについて訊ね合い、その意識を共有します。
おそらく、長い話し合いになるでしょう。
「赤」や「青」の"いろ"の話は、それから後です。

  • 回答者:紺色女 (質問から7日後)
  • 0
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

色…、色彩…。
それはとても素晴らしく、私たちに喜びや感動を与えてくれます。
咲き誇る花や、夕暮れ空のグラデーション、空に掛る大きな虹…。
それを伝えることが出来たなら・・・

肌の色とか、髪の色、瞳の色の違い…。
綺麗なブロンドへアーやブルーアイズは素敵です。
褐色の肌、黒髪も・・・
でも、時にそれはとても悲しい人種差別というものに繋がる事も…。

色を見ることの出来ない「その子」には
きっと、その子なりの色があると思います。

甘いパンケーキの匂い、金木犀の花の香り、お母さんの匂い・・・
それら一つ一つにちゃんと色があって
見えない笑顔も、きっと声の表情でちゃんと伝わっていて
つないだ手の優しさも、何気なく肩に置いた手も …
きっと私たちより敏感に感じていると思います。
そんな一つ一つにきっとその子なりの色や光があって
もしかしたら、目で見えるものがすべてで
色や形であたりまえのように判断してしまう私たちより
その子の世界はもっと繊細で、色鮮やかなのかもしれません。

スティービー・ワンダーの作る曲や辻井伸行さんのピアノを聴くとそう思うのです。

http://www.youtube.com/watch?v=d6GXdWcl6i0&feature=related

天才ピアニスト、辻井伸行。彼の演奏には、絵が見える。彼自身は絵が見えない。
だから、映像は真っ暗。そこに、彼の素晴らしい演奏から心の目で絵が見たい。

YouTubeの曲の紹介に添えてある文章です。

ごめんなさい、回答になってないかもしれません。

説明するよりも「何を感じた」かをその子に訊いてみるのはいかがでしょう?
肌に感じる春の日差し、花の香り、小鳥のさえずり、海の匂い・・・
見えないその子にはどう感じるのかを。

  • 回答者:心の眼に映るもの (質問から2日後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

世界はいろどりがあるからすばらしいのですね。

  • 回答者:匿名 (質問から10時間後)
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今後その子が光を感じる可能性がないのであれば、無理に伝えるべきではないと思います。耳、舌、鼻、手触りなど今感じ得る感覚を大事にして行くよう伝えた方がよいかと。

  • 回答者:清あれば濁あり (質問から4時間後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

質問がわかりません。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
  • 1
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身内に目の不自由な子がいます。
その子の母親は、感じる温度で説明していました。

青系であれば、お水を触らせてお水みたいに冷たくて涼しい色だとか
赤系であれば、温かいものに触れさせ表現したり、
黄色であれば、光を感じる子だったのでお日様の色と言っていたのを
思い出しました。

参考まで。

  • 回答者:匿名 (質問から8分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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