① 蒲生氏郷。
② 戦国末期から安土桃山時代。
③ 南近江を領していた六角氏の重臣蒲生賢秀の息子に生まれ、織田信長のところへ人質として預けられましたが、信長に気に入られ娘婿になり、13歳で伊勢長島の合戦へ出陣し手柄をたて、後に伊勢12万石、徳川家康が東国へ移封されると、家康と伊達政宗への抑えとして、会津100万石を秀吉から与えられました。
その後、関が原の合戦の前に若くして亡くなりました。(その後、上杉氏が会津へ移封されました)
④ 文武に優れたところが好きです。
信長の家臣時代、まだ身分の高くないとき、明智光秀からの風呂の誘いを先約があるからと断ったそうです。(風呂が日常的になったのは江戸時代からで、当時風呂を用意するというのは、大変な贅沢で、当時の光秀との身分はかなり差がありました。ただし、光秀も良識あり、先約があるのならばと特にとがめだて等はなかったそうです。)
会津入場後、城を改築し、結果会津若松城は明治維新の会津戦役でも落城しない名城となりました。(会津若松城は落城ではなく開城です。)
会津入場後、黒塚という場所の所領をめぐって伊達政宗と争いになりそうになった際、安達が原という場所は氏郷の所領だったので、氏郷は「みちのくの安達が原の黒塚に 鬼こもれるといふは誠か」という和歌を持ち出して解決したそうです。
- 回答者:美男子だったようですよ (質問から6日後)
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