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その昔、花見と言えば梅の花だったと聞きますが、いつの頃から桜の花になったのでしょうか?

  • 質問者:みいちゃん
  • 質問日時:2009-09-14 01:02:19
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奈良時代頃(西暦700~800)までは貴族を中心に「梅」や「桃」を使った花見が主流。
平安時代頃(西暦800~1200)になると「桜」の花見が台頭し、
残された和歌などから平安後期には「桜」が主流になったと推測される。

鎌倉時代(西暦1200~1300)までは主に天皇を中心とする公家・貴族の行事であったと思われるが、
室町時代((西暦1300~1500)には地方豪族など武士へもその習慣が広ろまったようです。

その後、戦国時代(西暦1500~1600)には酒宴だけでなく、
茶会(政治色が強い)として花見が行われるようにもなり、
江戸初期には公家・貴族・武士・地主・豪商など比較的裕福な階層で行われたようです。

一般に江戸時代中期、八代将軍 徳川吉宗が桜の植樹を奨励し、
桜が増えたことにより一気に庶民にも花見の習慣が広まったといわれています。

#西暦はおおよその目安です。

  • 回答者:桜吹雪 (質問から7日後)
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大変わかりやすい回答有難うございました。とても参考になりました。

既に出てますが、和歌の題材などから奈良時代は梅、平安時代になり桜が広まったと思われます。ソメイヨシノの年代で落語を創作と仰っている方がいますが、お聞きになった落語がソメイヨシノで現代風にアレンジされている可能性はあるものの、江戸時代は大島桜、吉野桜などの山桜や八重桜が鑑賞の対象となってたと考証されています。吉原に至っては、シーズンにわざわざ桜を植え、平地の桜が終わりになりかかると山の上からつぼみの固いのを運んできて植え替えるなどという大層手のこんだことをやってます。歌舞伎の助六もそんな吉原のシーンですし、飛鳥山など花見はすでに江戸時代には立派な娯楽になっていたと考えるのが自然でしょう。

  • 回答者:をやぢ (質問から2日後)
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有難うございます、なかなか専門的なご意見で参考になりました。

貴族の楽しみが紅葉でしたので、庶民が楽しめるようにと桜の花見を始めたのが豊臣秀吉と聞いていますが。

  • 回答者:テレビっ子 (質問から15時間後)
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有難うございました。

平安時代からだと思います。
藤原道長が本邸だか別邸だかに天皇を招いて鑑桜の宴を催していますし
古文の時間に「古今和歌集以降、花といったら桜を指すんだ」と先生から
教わりました。和歌は宴で詠まれることが多いことから、この時代には
花見=桜だったと思われます。
尤も、この時代の桜はソメイヨシノではなく八重桜が主だったとのことです。

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有難うございます。

ソメイヨシノが全国的に広まった明治中期以降です。ですから、落語の「長屋の花見」などは時代を誤魔化した創作です。

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有難うございます。

はっきりといつとはわかってませんが、
おおよそであれば、平安以降ということになります。
万葉集(奈良)のころは梅でした。
古今和歌集になると、歌によって梅のものと桜のものがあります。
(編纂したのは平安ですが、万葉集以降のものからそれまでのを集めてるので
収録されてる歌に100年以上の時代の開きがあるのです)
ので、そのあたりで移り変わってきたとは推測されています。

  • 回答者:匿名 (質問から31分後)
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わかりやすく参考になりました、有難うございます。

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