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古代や中世の(国には関わらず)白兵戦が基本の戦いで、戦場で死んだふりをしてその場を逃れた兵士はいるのでしょうか?
逃れても家には戻れなかったでしょうし、戻ろうとしても身一つでは無理だと思います。また、その後ケガが悪化したり誰かに見つかったりしてすぐ死ぬことになるとは思うのですが、
とりあえず「戦闘は4時間続いた」という場合にその4時間を死んだふりでやり過ごすような人はいたのでしょうか?
その場を逃げ出す・隠れるのではなく、死んだふりだけについて教えてください。

  • 質問者:ごづ
  • 質問日時:2009-09-04 22:01:05
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基本的に「白兵戦における死んだふり」は、
相手を油断させ奇襲する為の手法だと思います。
双方共にその点は考慮しているでしょうから、
死体と思しきものを放置はしないと思います。
首を切り落とすとか刀剣や槍を突き立てておくなど明らかに死んでいる状態と
一目で認識できないようなら用心の為に死体にもとどめを刺していたでしょう。
私ならそうしますし、部下が居るならそうさせます。

また、戦闘終了後に勝利側が遺体の埋葬や
遺体から装備品(武器・防具・宝飾品・携帯食料など)の回収をしたようなので、
逃亡せずに死んだふりでその場をやり過ごすという手法は、
少なくとも敗北側の兵にはできない方法でしょう。

勝利側の兵なら勝どきが上がる頃に起き上がれば何事も無かったように、
振舞えるかもしれませんが、かなり博打要素が高い気がします。

  • 回答者:きのこの季節 (質問から7日後)
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一般兵レベルで「死んだふり」だけでやり過ごすのは困難だと思います。
そのような話を聞いたこともありません。
既に味方が敗北、多数の死者が出ているなら
その中に紛れて死体のふりをすることはできるでしょうが。
(中国では農民反乱の際、そのようにして生き残った例はあるらしいです。)

指揮官レベルなら謀略の一つとして負傷した後に
「傷が元で死んだ」というデマを流して敵軍を油断させることはあったようです。

===補足===
謀略としての「指揮官の死」は部下達に偽の葬儀を行わせたり
影武者が戦死したのを利用するといった手段を使ったりもしたそうです。

それと、「死体を利用」の意味合いは違いますが日本の戦国時代、
敗北した側の武将が適当な首を持って敵陣に「功名を挙げた兵」のふりをして入り込み、
首実検の際に相手の大将を暗殺しようとした事例は存在します。
結局見破られて殺されましたが、敵の大将はその勇気を高く評価したそうです。

  • 回答者:めず (質問から13時間後)
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中国農民の例があるということは、皆無ではなかったということですね。
相当少数派だったでしょうね。
一定クラス以上になると、死んだ振りも一つの戦法になったそうですが、
デマを流すほかに念を入れて誰かの遺体をこれ見よがしに使ったかもしれませんね。
ところで私のハンドルネームは適当にキーボードを打っただけなのですが、
ちゃんと対になったネームを思いついていただいてありがとうございます。
私もどうせならちゃんと「ごず」にすべきでしたね。ちょっと怖いですが(笑)

何かの映画で、勝ち負けが決まってから
死んでいる兵士の首をザクザク剣で刺して回っているシーンを
観たことがあります。
仲間同士で談笑しながら淡々と剣を突き刺していくのが怖くて
とっても印象に残っています。
何の映画かは忘れてしまったのですが
同じ様なことをしていたら、死んだふりは無理なんじゃないかと思いました。

  • 回答者:匿名希望 (質問から10時間後)
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私も映画などで見たことがあります。あれは全部が全部作り事じゃないですよね。
ホラー映画でもちゃんととどめをさしてますし、死んだのを確認しないと倒したとはいえないという
人間共通の意識があるようですね。現実の戦闘では残党は脅威になったはずですし・・・
やっぱりその場にいたままでやり過ごすのは無理そうですね。

中世ののヨーロッパの軍隊は傭兵が主であり、中国や日本では農民が主でした。
死力を尽くして戦う者はあくまで一部の者でしかなく、その他大勢は様子見で勝ち馬に乗るか逃げるのが普通です。4時間も死んだふりをした者がいたかは大いに疑問です。怪我をしたとかでなければ、その必要が無かったと思いますが。
 日本では信長が従来の常識を覆して専門の戦闘集団を組織したのです。季節労働の農民軍が勝つのはむずかしいでしょう。鉄砲よりそれが強さの要因でした。
 ヨーロッパではナポレオンがフランス革命を守るために国民軍を組織しました。傭兵対国民軍では戦闘にたいする意識がまるで違いますよね。

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混乱に乗じて逃げだす・最初から逃げたり寝返ったりする心算で行動を決めておく・そういう人のほうが
死んだふりよりはずっと多そうですし、自然ですね。
実際にはケガをしたからそのまま倒れておいたなんて人も皆無ではないでしょうが、先だって戦いに
臨むような人ならそんな事をしないし、後方でためらっている人ならなおのことというわけですね。

戦場のシーンを見ると思わずそんなことを考えてしまいますね。
私もその一人です。
おそらく中世くらいまでの戦争では、
勝利者が負けたものの略奪をするのは普通のことだったと思います。
したがって、戦死者の装備や武器をとったり、金品目当てに盗んだりというのは
普通のことだったと思います。
略奪を禁止したりする命令が上官から出ていたり、
そういう余裕のある状況でなかったりしたら、別ですが。
あるいは死者からの疫病を恐れ、何らかの処理をしたはずですので、
その4時間はしのげてもあとはわかりませんね。
やり過ごすといってもタイミングによっては見つかってバッサリだったと思われます。

===補足===
4時間死んだふりで、その場から去らない場合、
戦場の後処理があるので、死んだフリでいるのは無理だろうという意味です。
死んだフリをすること=生き残る、という意味かと思ったんで。
生き残るのは無理、しかしタイミングによっては死んだフリで生き残れたかも。
そういう意味だったんですが。

  • 回答者:匿名 (質問から55分後)
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