すべてのカテゴリ » 地域情報・旅行 » 国内 » 交通

質問

終了

道外の者ですので、地域事情がわかりませんのでお伺いします。

北海道に札沼線というJRの路線があり、その終点が新十津川という駅です。しかしながら、この駅と函館本線の滝川という駅は地図で見ると、2kmくらいしか離れていません。

もし、新十津川と滝川が結ばれていれば、JRを利用する上で、円周になり便利なのではと思うのですが、この区間がJRで結ばれていないのは何か事情があるのでしょうか?

  • 質問者:soodaくん
  • 質問日時:2009-05-23 08:16:55
  • 0

当初、新十津川は終点ではなく、さらに北上して沼田まで線路があったのです(札幌~沼田で札沼線)。そして留萌本線とつながっていたのです。北海道内の線路は不採算路線切り捨てによってズタズタになりました。新十津川と滝川をつなぐには石狩川という大変な断点があって、とてつもない大工事が必要ですから考えられなかったのです。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご回答ありがとうございました。私が北海道に行ったのは20年くらい前になりますが、その前後に天北線などいくつかの路線が廃止になったと記憶しています。昔はもっと網の目のようにあった路線が、不採算路線切捨てでズタズタになったのですね。この、札沼線もそういう歴史があったのですね。

新十津川と滝川の間の石狩川が工事を阻んでいるのですね。

まあ、私は地図でしかわからないので、わずか2km接続すれば円周につながり便利になるのではと思ってしまいましたが、いろいろな地域事情・歴史があるのですね。

北海道は遠いので、チャンスがあるかわかりませんが、もし機会があれば札沼線・留萌本線、新十津川や滝川など行ってみたいです。

並び替え:

実際に、滝川駅と新十津川駅は2kmと歩ける距離にあります。
1931年(昭和6年)に石狩沼田(現 留萌本線)-中徳富(現 新十津川)間が開業したのを皮切りに、1934年(昭和9年)に浦臼まで、桑園-石狩当別間が開業し、1935年(昭和10年)に石狩当別-浦臼間の開業により全通した。
太平洋戦争が激しくなると、1943年(昭和18年)から1944年(昭和19年)にかけて石狩当別-石狩沼田間が休止された。
戦後は1946年(昭和21年)に石狩当別-浦臼間が復活したのに続いて1956年(昭和31年)までに全線が復活したが、営業成績は振るわなかった。その影響で、1968年(昭和43年)には「赤字83線」に廃止すべき路線としてその名をあげられ、1972年(昭和47年)に新十津川-石狩沼田(現 留萌本線)間が廃止された。廃止区間の線路跡は農場の整備によってほとんど痕跡をとどめておらず、わずかに一部の駅の周辺に面影をしのぶのみとなっている。
1987年(昭和62年)のJR化に前後しての輸送強化や、札幌ニュータウン「あいの里」などの札幌市北部での住宅開発の進展もあり、札幌口では非電化ながらも高架・複線化され、新駅も設置された。この区間は列車本数が多く、編成も最大6両で、都市鉄道として脱皮が図られている。一方、新十津川側では列車の本数が依然として少ないままである。新十津川発着の列車は、新十津川以北廃止当時は5往復だったが、1986年3月3日のダイヤ改正以後は3往復(浦臼-新十津川間)となっている。

すなわち、過去に新十津川駅と留萌本線の石狩沼田駅が繋がっていた名残だと思われます。

  • 回答者:北海道 (質問から4時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご回答ありがとうございます。新十津川~滝川という流れではなく、新十津川と石狩沼田がつながっていたのですね。北海道は昔は網の目のように路線があったようですが、不採算路線の廃止などで地域事情が変わってきているのですね。

札沼線は、元々「沼」の文字が示すように、札幌(正確には桑園)と石狩沼田を
結ぶ路線でした。
一度は完成したのですが、戦時中の物資供給で一部路線が休止になり、その後
再び沼田まで再開し、1972年に新十津川以北が廃止され現在に至ります。
現在の利用は、当別町の北海道医療大学までがメインでありそれ以北は、いつ
廃止されてもおかしくないような利用状況です。
ですから、新十津川-滝川間が結ばれることは、ないと考えた方がいいでしょう。
一方で、医療大学以南は札幌への通勤通学路線であり、一部が複線化され、
先頃、桑園-あいの里公園間の電化が決定しました。

  • 回答者:医療大まで電化してほしい (質問から49分後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご回答ありがとうございます。札沼線の「沼」は石狩沼田から来ているのですね。新十津川以北が廃止されたのですね。新十津川と滝川が結ばれることはないのですね。

北海道には昔1周旅行したことがありますが、この札沼線や留萌本線は通っていませんし、もちろんそういった地域事情は知りませんでした。まあ、旅行でいろいろな線を乗りつくしたいとか、青春18切符など有効に使うなどの立場で見ると、わずか2kmくらい接続しておけばいいのにと思いましたが、考えもつかない地域事情・歴史があるのですね。

元々は、留萌線の石狩沼田まで接続されており、その当時でも、函館本線との接続はありません。
で、昭和47年に路線廃止で、新十津川 - 石狩沼田(-34.9km)が 国鉄バスに転換
廃止された駅は、石狩橋本、上徳富、北上徳富、雨龍、石狩追分、渭ノ津、和、中ノ岱、碧水、北龍、五ヶ山 、南雨竜、中雨竜
となります。
現在は、ほとんど、札幌から北海道医療大学までがメインとなっており、滝川からの利用者はバス/函館本線・・・
まあ、札沼線(現、学園都市線)の医療大学以降は3本程度となってる事情もあるようです。

  • 回答者:鉄の親 (質問から34分後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご回答ありがとうございました。新十津川からは滝川への流れではなく、元々は石狩沼田へ延びていたのですね。今は札幌近郊部分がメインなのですね。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る