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宮本武蔵は卑怯?
負ければ死ぬかもしれないんだもんね。
皆さんはどう思います?
よそのサイトで見かけて気になってなりません。
Sooda!の皆さんはどうなんでしょう?

  • 質問者:匿名希望
  • 質問日時:2009-04-13 10:01:57
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卑怯とは思いません。

一つの作戦だと思っています。

頭いいですね。

だから有名なのですね。

  • 回答者:あけ (質問から7日後)
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それも一つの戦術だと思います

  • 回答者:あや (質問から6日後)
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生きるか死ぬかといっているときに、卑怯とか言うものはないと思います。どんなことをしても勝つことしか考えません。

絶対に死にたくありませんから。

  • 回答者:うどんだいすき (質問から4日後)
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あれは作戦ですよ。
だから卑怯というのかもしれないけど・・・。
部活のコーチとか、歴史の先生にそう教わりませんでしたか?

  • 回答者:信じてたけど (質問から1日後)
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殺し合いなんですから卑怯もなにも関係ないと思いますけど。

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卑怯です。
格好悪いです。

でももし自分がその立場なら同じように何と思われようと生きる方を選ぶかと思います。

  • 回答者:ミスマンデイ (質問から12時間後)
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勝ちに拘るのは悪いことではないと思いますが、卑怯な手段を用いるのは支持できません。

  • 回答者:雪印 (質問から12時間後)
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人それぞれだと思いますが、私は卑怯だと思っています。
正々堂々と戦ってもらいたい

  • 回答者:匿名希望 (質問から8時間後)
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1対1の勝負でのアレは、卑怯を通り越して呆れますが、
1対多の勝負でのアレは、仕方ないというか、
本当にやりすごせるとは、あっぱれ!
と、思います。

でも、主君殺して当たり前の世相で、
卑怯もへったくれもないんじゃないかという気もします。

  • 回答者:匿名 (質問から7時間後)
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卑怯といえば、そうなりますね。
でも、負ければ死ぬかもしれないんだから、何でもありと思います。
それが、戦術、戦略ですよね。

  • 回答者:bb (質問から6時間後)
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ものの捉え方によると思いますが、私は、彼は彼なりに悩み悩んだ挙句に取った行動だと思うので、ひとつの戦略として評価します。

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どの部分が卑怯に当るのかよく分からんが、命が掛ってるのだから問題ないのではないかな?

(そもそも、実質、多勢に無勢の相手に対して、フェアな勝負なんて難しいんじゃないかな? 私なら、予め、大半、出来れば全員に毒でももってから勝負する。)

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負けても「いい勝負だった、来年またやりあおう」というわけにはいかない状況でしょうから、それは卑怯とは言わないのではないかと思います。
勝つことが第一で、負けることは即、死ぬことを意味するのだとしたら、どんなことをやったとしても勝つことに集中するべきでしょう。
その点で、武蔵はむしろ、強かったと言っていいんじゃないかと思いますよ。

  • 回答者:ガブ (質問から3時間後)
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自分の前に投稿した人と同意見です。
「優れた兵法者」禿同です。
小次郎の性格までわかっていなければただの遅刻者のアホで終わりなとこですね。
プライドが高くてコバカにされたと逆上するところまで予想して結果生き延びた、立派な勝者です。

  • 回答者:soodaクン (質問から2時間後)
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時代により、美意識が違うので
当時はひきょうではなかったと思います

  • 回答者:みのむし (質問から2時間後)
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坂口安吾さんという小説家が、エッセイなどでよく宮本武蔵について書かれていました。

要約すると宮本武蔵という存在はみっともないくらいに勝ち負けにこだわり続けたので生き延びることができた。だから優れた兵法者である。
どんなに美しい理想を掲げたり、もっともらしい理屈を捏ね回しても、戦いの場に身をおく人間は死んでしまえばそれで終わり。
武蔵は人並みはずれて勝利にこだわることができたので、人並み外れた優れた兵法者であった。
なので、晩年、戦いの前線から身を引き「五輪書」なんてもっともらしい理屈を並べた本を書いた武蔵はつまらない。
そんな感じでした。

この武蔵論はまた同時に、理想主義や形式主義、建前論に走りがちな人間も批判したもので、高校生の頃に読んで非常に感銘を受けた覚えがあります。

  • 回答者:匿名です (質問から2時間後)
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兵法者にとっては、生死が関わっておりますからね。
今の武道のように、当時はルールなんてありません。
当時の決闘は、最後にとどめを刺すは当たり前でした。
防具や竹刀を使うワケでもなく、生身で真剣ですから、負ければイコール死ぬかもしれません。
勝って生き残ることが第一優先ですから、当時のやり方で考えるなら、別に卑怯とは思いません。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
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それを戦略と言うんです。
生きるか死ぬかで生きた方が勝ち。
勝つことが第一なので卑怯ではないと思います。

  • 回答者:ふぇ (質問から59分後)
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卑怯者ですね。勝つためなら何をしてもいいというわけではないですからね。
前日に行って落とし穴を掘っておくとか、竹やりを埋めておくとか、まずいでしょ。

  • 回答者:● (質問から45分後)
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兵法者にとって、勝つか、負けるかがすべてです。
あなたのおっしゃるとおり、負ければ死ぬわけです。
剣道の試合みたいに負けても笑っていられるわけではありません。
勝ち残るために知恵を使うことは、卑怯ではないと思いますよ。

  • 回答者:いたりあのてんぷらーと (質問から31分後)
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