まず前提条件が論理的に不可能ですね。
妊娠のリスク・家族バレの可能性が0であるのは当然として
経済・時間・体力などのコストがほぼ0であるということが考えられません。
昆虫の交尾であれば10秒程度で済むかもしれませんが、
人間の性行為がそんなに短時間で、体力も経済的コストも0というのは
まず不可能でしょう。
自宅であっても避妊具を購入したりシーツが汚れたりするでしょうし
経済的コストはかかってしまいますね。
次に、「感情論を抜きにして」浮気をするということに関してですが
セフレであれば浮気も何もないものを
恋人関係なり婚姻などを結ぶ理由が「感情論を抜きに」することが難しいですね。
恋人関係などを結ぶ理由は感情論だと思いますし
戦前のような家のための結婚というのも最近では稀ですね。
「感情論抜きに」セフレであってはならない理由があまりないですね。
また、浮気や不倫を「感情論抜きに」肯定するのも困難です。
浮気がしたい、性行為がしたいという「感情」なくして
浮気や不倫をする理由があるでしょうか?
妊娠を目的とせず、商売でもない「感情論抜きの」
浮気・不倫の理由がありますか?
商売に関しても、売る方はともかく買う方は
浮気がしたい、性行為がしたいという「感情」で行うのでは?
やはり理性的に考えると浮気・不倫をする理由がないですね。
===補足===
補足も拝見しましたが、相変わらず論理性に欠けてますね。
まずムスリム圏において認められた行為が
「世界的にレア」という発言そのものが、無根拠な欧米礼賛です。
欧米がスタンダードでムスリム圏が特殊、というのは何が根拠ですか?
アラブ諸国およびアフリカ・アジア各地にあるムスリム圏が
ヨーロッパよりも軽視されなければならない理由を
論理的に説明できていませんね。
次に、欧米で「姦通罪」がない理由をきちんと考えたことがありますか?
新約聖書でイエス・キリストが姦通罪を犯した女性の石打ちに通りがかった際
石を投げる民衆を止めた説話があります。
この事が欧米において「姦通罪」を処罰することに対して
ネガティブなイメージを作りあげているわけですが
この件の本意は教条主義に対する反論であって、
姦通を認めているわけではないのです。
むしろ姦通罪に無駄な寛容心を持つことが
間違った宗教解釈からの名残であり、前近代的で非論理的な話ですね。
さらに近代成立以前のイタリア・フランスなどで
浮気や不倫に対して寛容な文化があったというのもありますが
これは自由な婚姻というものがなかったころの話です。
不倫によって筆おろししてもらった人間が
あとで嫁に不倫されても「お互い様」であったということですね。
さて、現代の日本で己の意思や行動と無関係に婚姻することが
はたしてどれだけありますか?
何度も言いますが恋人関係なり婚姻などを結ばなければ
そもそも浮気・不倫にはなりません。
そして現代日本では無理に婚姻させられる必要はないのです。
恋人関係・婚姻などという「別にしなくてもいいこと」をわざわざしておいて
そのせいで「浮気・不倫」になってしまったわけですから
「浮気・不倫」をする人間というのは無駄にできもしない約束をする
知性も人間性も信頼できない人だと思われるのは当然でしょう。
そこを、
>「姦通罪」の復活を意図しているのと同義
などとわざわざネガティブなイメージの言葉を持ち出すのは
頭の悪い全共闘崩れの偽リベラルが使うやり口ですね。
論理的に穴だらけの自論を通すために相手のネガキャンをするのは
きわめて恥ずべき行為だと思います。
- 回答者:そもそも恋愛が感情だし (質問から25分後)
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